ばならぬ己《おのれ》の地位だというのである。(当時孔子は国老の待遇《たいぐう》を受けていた。)
子路はちょっと顔を曇《くも》らせた。夫子のした事は、ただ形を完《まっと》うするために過ぎなかったのか。形さえ履《ふ》めば、それが実行に移されないでも平気で済ませる程度の義憤なのか?
教を受けること四十年に近くして、なお、この溝《みぞ》はどうしようもないのである。
十六
子路が魯に来ている間に、衛では政界の大黒柱|孔叔圉《こうしゅくぎょ》が死んだ。その未亡人で、亡命太子|※[#「萠+りっとう」、第3水準1−91−14]※[#「耳+貴」、第4水準2−85−14]《かいがい》の姉に当る伯姫《はくき》という女策士が政治の表面に出て来る。一子|※[#「りっしんべん+里」、第3水準1−84−49]《かい》が父|圉《ぎょ》の後《あと》を嗣《つ》いだことにはなっているが、名目だけに過ぎぬ。伯姫から云えば、現衛侯|輒《ちょう》は甥《おい》、位を窺う前太子は弟で、親しさに変りはないはずだが、愛憎《あいぞう》と利慾との複雑な経緯《けいい》があって、妙に弟のためばかりを計ろうとする。夫の死後|頻《しき》りに寵愛《ちょうあい》している小姓《こしょう》上りの渾良夫《こんりょうふ》なる美青年を使として、弟※[#「萠+りっとう」、第3水準1−91−14]※[#「耳+貴」、第4水準2−85−14]との間を往復させ、秘かに現衛侯|逐出《おいだ》しを企んでいる。
子路が再び衛に戻《もど》ってみると、衛侯父子の争は更に激化《げきか》し、政変の機運の濃《こ》く漂《ただよ》っているのがどことなく感じられた。
周の昭王の四十年|閏《うるう》十二月|某日《ぼうじつ》。夕方近くになって子路の家にあわただしく跳び込んで来た使があった。孔家の老・欒寧《らんねい》の所からである。「本日、前太子※[#「萠+りっとう」、第3水準1−91−14]※[#「耳+貴」、第4水準2−85−14]都に潜入。ただ今孔氏の宅に入り、伯姫・渾良夫と共に当主|孔※[#「りっしんべん+里」、第3水準1−84−49]《こうかい》を脅《おど》して己を衛侯に戴かしめた。大勢は既に動かし難い。自分(欒寧)は今から現衛侯を奉《ほう》じて魯に奔るところだ。後《あと》はよろしく頼む。」という口上である。
いよいよ来たな、と子路は思った。
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