弟子
中島敦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)魯《ろ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)賢者|何程《なにほど》のことやあらん

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)雄※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《おんどり》
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     一

 魯《ろ》の卞《べん》の游侠《ゆうきょう》の徒、仲由《ちゅうゆう》、字《あざな》は子路という者が、近頃《ちかごろ》賢者《けんじゃ》の噂《うわさ》も高い学匠《がくしょう》・陬人《すうひと》孔丘《こうきゅう》を辱《はずか》しめてくれようものと思い立った。似而非《えせ》賢者|何程《なにほど》のことやあらんと、蓬頭突鬢《ほうとうとつびん》・垂冠《すいかん》・短後《たんこう》の衣という服装《いでたち》で、左手に雄※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《おんどり》、右手に牡豚《おすぶた》を引提げ、勢《いきおい》猛《もう》に、孔丘が家を指して出掛《でか》ける。※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]を揺《ゆ》り豚を奮《ふる》い、嗷《かまびす》しい脣吻《しんぷん》の音をもって、儒家《じゅか》の絃歌講誦《げんかこうしょう》の声を擾《みだ》そうというのである。
 けたたましい動物の叫《さけ》びと共に眼《め》を瞋《いか》らして跳《と》び込《こ》んで来た青年と、圜冠句履《えんかんこうり》緩《ゆる》く※[#「王+夬」、第3水準1−87−87]《けつ》を帯びて几《き》に凭《よ》った温顔の孔子との間に、問答が始まる。
「汝《なんじ》、何をか好む?」と孔子が聞く。
「我、長剣《ちょうけん》を好む。」と青年は昂然《こうぜん》として言い放つ。
 孔子は思わずニコリとした。青年の声や態度の中に、余りに稚気《ちき》満々たる誇負《こふ》を見たからである。血色のいい・眉《まゆ》の太い・眼のはっきりした・見るからに精悍《せいかん》そうな青年の顔には、しかし、どこか、愛すべき素直さがおのずと現れているように思われる。再び孔子が聞く。
「学はすなわちいかん?」
「学、豈《あに》、益あらんや。」もともとこれを言うのが目的なのだから、子路は勢込んで怒鳴《どな》るように答える。
 学の権威《けんい》について云々《うんぬん》
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