った白檀《びゃくだん》を頭につけた者、紫の花弁を頭一杯に飾った者…………
中央の空地には、食物の山が次第に大きさを増して行く。(白人に立てられた傀儡《かいらい》ではない)彼等の心から推服する真の王者へと贈られた・大小酋長からの献上品だ。役人や人夫が列をなして歌を唱《うた》いながら贈物を次々に運び入れる。其等は一々高く振上げて衆に示され、接収役が鄭重《ていちょう》な儀礼的誇張を以て、品名と贈呈者とを呼び上げる。この役人は頑丈な体格の男で、全身に良く油が塗り込んであるらしく、てらてら[#「てらてら」に傍点]光っている。豚の丸焼を頭上に振廻しながら、滝の様な汗を流して叫んでいる有様は、壮観である。我々の持参したビスケットの缶と共に、「アリイ・ツシタラ・オ・レ・アリイ・オ・マロ・テテレ」(物語作者酋長・大政府の酋長)と紹介される声を私は聞いた。
我々の為に特に設けられた席の前に、一人の老いたる男が、緑の葉を頭に載せて坐っている。少し暗い・けん[#「けん」に傍点]のある其の横顔は、ダンテにそっくりだ。彼は、此の島特有の職業的説話者の一人、しかも其の最高権威で、名をポポという。彼の傍には、息子や、同僚達が坐っている。我々の右手、かなり離れて、マターファが坐っており、時々彼の脣《くちびる》が動き、手頸《てくび》の数珠玉の揺れるのが見える。
一同はカヴァを飲んだ。王が一口飲んだ時、全く驚かされたことに、ポポ父子《おやこ》がとてつ[#「とてつ」に傍点]もなく奇妙な吠声《ほえごえ》を立てて、之を祝福した。こんな不思議な声は、まだ聞いたことがない。狼の吠声の様だが、「ツイアツア万歳」の意味だそうだ。やがて食事になった。マターファが喰終ると、又しても奇怪な吠声が響いた。此の非公認の王の面上に、一瞬、若々しい誇と野心の色が生動し、直ぐに又消去るのを、私は見た。ラウペパとの分離以来、始めて、ポポ父子がマターファの許に来てツイアツアの名を讃えたからであろう。
既に食物搬入は済んだ。贈物は順々に注意深く数えられ、記帳された。ふざけた説話者が、品名や数量を一々変な節廻しで呼上げては、聴衆を笑わせている。「タロ芋六千箇」「焼豚三百十九頭」「大海亀三匹」……
それから、未だ見たこともない不思議な情景が現れた。突然、ポポ父子が立上り、長い棒を手に、食物の堆《うずたか》く積まれた庭に飛出して、奇妙な踊を始めた。父親は腕を伸ばし棒を廻しながら舞い、息子は地に蹲《かが》まり、其の儘《まま》何ともいえない恰好《かっこう》で飛び跳ね、此の踊の画く円は次第に大きくなって行った。彼等のとび越えただけのものは、彼等の所有《もの》になるのだ。中世のダンテが忽然《こつぜん》として怪しげな情ないものに変った。此の古式の(又、地方的な)儀礼は、流石《さすが》にサモア人の間にさえ笑声を呼起した。私の贈ったビスケットも、生きた一頭の犢《こうし》も、ポポにとび越えられて了った。が、大部分の食物は、一度己のものなることを宣した上で、再びマターファに献上された。
さて、物語作者酋長《ル・アリイ・ツシタラ》の番が来た。彼は踊らなかったが、五羽の生きた※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]、油入|瓢箪《ひょうたん》[#「瓢箪」は底本では「飄箪」]四箇、筵《むしろ》四枚、タロ芋百箇、焼豚二頭、鱶《ふか》一尾、及び大海亀一匹を贈られた。之は「王より大酋長への贈物」である。之等は、合図の下に、ラヴァラヴァを褌《ふんどし》ほども短く着けた数人の若者によって、食物群中から運び出される。彼等が食物の山の上に屈《かが》み込んだかと思うと、忽《たちま》ち、あやまり無き速さを以て、命ぜられた品と数量とを拾い上げ、サッと、それを又、別の離れた場所へ綺麗に積上げる。その巧みさ! 麦畑にあさる鳥の群を見る如し。
突然、紫の腰布を着けた壮漢が九十人ばかり現れて、我々の前に立停った。と思うと、彼等の手から、それぞれ空中高く、生きた稚※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《わかどり》が力一杯投上げられた。百羽に近い※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]が羽をばたつかせながら落ちて来ると、それを受取って、又、空へ投げ返す。それが、幾度も繰返される。騒音、歓声、※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の悲鳴。振廻し、振上げられる逞《たくま》しい銅色の腕、腕、腕、…………観ものとしては如何にも面白いが、しかし一体何羽の※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]が死んだことだろう!
家の中でマターファと用談を済ませてから、水辺へ下りて行くと、既に貰い物の食物は舟に積込まれてあった。乗ろうとすると、スコール襲来、再び家に戻り、半時間休んでから、五時出発、またボートとカヌーとに分乗。水の上に夜が落ち、岸の灯が美しい。みんな唱い出す。小山の如く厖大《ぼうだい》なタウイロ夫人が素晴らしく良い声なので一驚する。その途中、又スコール。母もベルもタウイロも私も海亀も豚もタロ芋も鱶も瓢箪も、みんなびしょ[#「びしょ」に傍点]濡れ。ボートの底に溜《たま》った生ぬるい水に漬りながら、九時近く、やっとアピアに着く。ホテル泊まり。
六月××日
召使達が、裏山の藪《やぶ》の中で骸骨を見付けたと言って騒ぐので、みんなを連れて行って見る。成程、骸骨には違いないが、大分、時の経ったものだ。此の島の成人《おとな》としては、どうも小さ過ぎるようだ。藪の・ずうっと奥の・薄暗く湿った辺なので、今迄人目に付かなかったのだろう。そこらを掻廻している中に、又、別の頭蓋骨《ずがいこつ》(今度は頭だけ)が見付かった。私の親指二本はいる位の弾丸の穴があいている。二つの頭蓋骨を並べた時、召使達は、一寸ロマンティックな説明を見付けた。此の気の毒な勇士は戦場で敵の首を取った(サモア戦士の最高の栄誉)のだが、自らも重傷を負うていたので、味方にそれを見せることが出来ず、此処迄這っては来たが、空しく敵の首を抱いたまま死んで了ったのだろうと。(とすれば、十五年前の・ラウペパとタラヴォウとの戦の時のことか?)ラファエレ達が直ぐに骨を埋めにかかった。
夕方六時頃、馬で裏の丘を下りようとした時、前面の森の上に大きな雲を見た。それは、甲虫《かぶとむし》の如き額をした・鼻の長い男の横顔をはっきり現していた。顔の肉に当る部分は絶妙の桃色で、帽子(大きなカラマク人の帽子)、髭《ひげ》、眉毛は青がかった灰色。子供じみた此の図柄と、色の鮮明さと、そのスケールの大きさ(全く途方もない大きさ)とが、私を茫然《ぼうぜん》とさせた。見ている中に表情が変った。たしかに片眼を閉じ、顎《あご》を引く様子である。突然、鉛色の肩が前にせり出して、顔を消して了った。
私は他の雲々を見た。はっ[#「はっ」に傍点]と思わず息をのむばかりの・壮大な・明るい・雲の巨柱の林立。それ等の脚は水平線から立上り、其の頂きは天頂距離三十度以内にあった。何という崇高さだったろう! 下の方は氷河の陰翳《いんえい》の如く、上に行くにつれ、暗い藍《インディゴオ》から曇った乳白に至る迄の微妙な色彩変化のあらゆる段階を見せている。背後の空は、既に迫る夜のために豊かにされ又暗くされた青一色。その底に動く藍紫色の・なまめかしいばかりに深々とした艶と翳《かげ》。丘は、はや日没の影を漂わせているのに、巨大な雲の頂上は、白日の如き光に映え、火の如く・宝石の如き・最も華やかな柔かい明るさを以て、世界を明るくしている。それは、想像される如何なる高さよりも高い所にある。下界の夜から眺める・其の清浄|無垢《むく》の華やかな荘厳さは、驚異以上である。
雲に近く、細い上弦の月が上っている。月の西の尖《とが》りの直ぐ上に、月と殆ど同じ明るさに光る星を見た。黒み行く下界の森では、鳥共の疳高《かんだか》い夕べの合唱。
八時頃見たら、月は先刻より大分明るく、星は今度は月の下に廻っていた。明るさは依然同じくらい。
七月××日
「デイヴィッド・バルフォア」漸《ようや》く快調。
キューラソー号入港、艦長ギブソン氏と会食。
巷間《こうかん》の噂によれば、R・L・S・は本島より追放さるべしと。英国領事がダウニング街に訓令を請いたる由。余の存在は島内の治安に害ありとや? 余も亦偉大なる政治的人物にあらずや。
八月××日
昨日又、マターファの招により、マリエに赴く。通訳はヘンリ(シメレ)。会談中マターファが私をアフィオガと呼んで、ヘンリを仰天させた。今迄私はススガ(閣下に当ろうか?)と呼ばれていたのだが、アフィオガは王族の称呼である。マターファの家に一泊。
今朝、朝食後、大灌奠式《ローヤル・カヴァ》を見る。王位を象徴する古い石塊にカヴァ酒を灌《そそ》ぐのだ。此の島に於てさえ半ば忘れられた楔形《くさびがた》文字的典礼。老人の白髯《はくぜん》を集めて作った兜《かぶと》の飾り毛を風に靡《なび》かせ、獣歯の頸掛《くびかけ》をつけた・身長六|呎《フィート》五|吋《インチ》の筋骨隆々たる赤銅色の戦士達の正装姿は、全く圧倒的である。
九月×日
アピア市婦人会主催の舞踏会に出席。ファニイ、ベル、ロイド、及びハガァド(例のライダア・ハガァドの弟。快男児なり、)も同行。会半ばにして裁判所長《チーフ・ジャスティス》ツェダルクランツ現る。数ヶ月前不得要領な訪問を受けて以来の対面なり。小憩後、彼と組になってカドリルを踊る。珍妙にして恐るべきカドリルよ! ハガァド曰《いわ》く、「奔馬の跳躍にさも似たり」と。我等二人の公敵が、それぞれ、厖大《ぼうだい》にして尊敬すべき二人の婦人に抱きかかえられつつ、手を組み足を蹴上げて跳ね廻る時、大法官も大作家も共に、威厳を失墜すること夥《おびただ》し。
一週間前、チーフ・ジャスティスは混血児の通訳をそそのかして、私に不利な証拠を掴《つか》ませようとあせっていたし、私は私で今朝も、此の男を猛烈に攻撃した第七回目の公開状をタイムズヘ書いていた。
我々は、今微笑を交しつつ、奔馬の跳躍に余念がない!
九月××日
「デイヴィッド・バルフォア」漸く仕上。と同時に、作者もぐったりして了った。医者に診て貰うと、決って、此の熱帯の気候の「温帯人を傷める」性質に就いての説明を聞かされる。どうも信じられない。この一年間、煩わしい政治騒ぎの中で持続的にやって来た労作のようなものは、まさか、ノルウェーでは出来まいに。兎に角、身体は疲労の極に達している。「デイヴィッド・バルフォア」に就いては、大体満足。
昨日の午後街へ使にやったアリック少年が、昨夜遅く繃帯《ほうたい》をし眼を輝かして帰って来た。マライタ部落の少年等と決闘、三・四人を傷つけて来たと。今朝、彼はうち[#「うち」に傍点]中の英雄になっていた。彼は一本糸の胡弓《こきゅう》を作り、自ら勝利の唄を奏で、且つ踊った。興奮している時の彼は中々美少年である。ニュウ・ヘブリディスから来た当座は、うち[#「うち」に傍点]の食事が旨《うま》いとて無闇に食過ぎ、腹が凄くふくらんで了って苦しんだことがあったが。
十月×日
朝来、胃痛|劇《はげ》し。阿片《あへん》丁幾《チンキ》十五滴服用。この二三日は仕事をせず。我が精神は所有者未定《アベイヤンス》の状態にあり。
曾《かつ》て私は華やかな青年だったらしい。というのは其の頃、友人の誰もが、私の作品よりも私の性格と談話との絢爛《けんらん》さを買っていたようだったから。しかし、人は何時迄もエァリエルやパックばかりではいられない。「ヴァージニバス・ピュエリスク」の思想も文体も、今では最も厭《いと》わしいものになって了った。実際イエールでの喀血《かっけつ》後、凡《すべ》てのものに底が見えて来たように感じた。私は最早何事にも希望を抱かぬ。死蛙の如くに。私は、凡ての事に、落着いた絶望を以て這入って行く。宛《あたか》も、海へ行く場合、私が何時も溺《おぼ》れることを確信して行くのと同様に。ということは、何も、自暴自棄になっているのではない。それ所か、私は、死ぬ迄快活さを失わ
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