時に当てられた仮病院は、長いがらん[#「がらん」に傍点]とした建物で、中央に手術台があり、十人の負傷者がいずれも、附添人に囲まれ、部屋の隅々に横たわっていた。小柄な・眼鏡をかけた看護婦のラージュ嬢が、今日は大変頼もしく見えた。独艦の看護卒も来ていた。
 医者は未だ来ていなかった。患者の一人が冷たくなりかかっていた。それは、実に立派なサモア人で、色飽く迄黒くアラビヤ人風の鷲型の風貌をしていた。七人の近親者が取囲んで、彼の手足をさすっていた。肺を射《う》ち貫《ぬ》かれたらしい。独艦の軍医が大急ぎで呼びに行かれた。
 私には私の仕事があった。続いて運ばれて来るに違いない負傷者の収容の為に、公会堂を使わせて貰い度いと牧師のクラーク氏等が言うので、街中を走り廻って、(極く最近、私が公安委員会に加わるようになったので)人々を叩き起し、緊急委員会を開き、公会堂を提供することに決めた。(一人の反対者あり。遂に説得す。)この事に就いての費用の拠出も可決。
 夜半、病院に戻る。医者は来ていた。二人の患者が死に瀕《ひん》している。一人は腹部をやられた者。顔をゆがめつつ、しかし沈黙せる・傷々《いたいた》しき人事不省。
 先刻の・肺を射たれた酋長は、一方の壁際で最後の天使を待つものの如く見えた。家族等が其の手足を支えていた。みな無言。突然、一人の女が、死に行く者の膝を抱いて慟哭《どうこく》した。慟哭の声は五秒も続いたろうか。再び、いたいたしい沈黙。
 二時過帰宅。街の噂を綜合すると、戦は、マターファに不利だったらしい。

七月九日
 漸《ようや》く戦の結果が明らかになった。
 昨日アピアから西に進撃を始めたラウペパ軍は、正午頃、マターファ軍とぶっつかった。但し、滑稽《こっけい》なことに、初めは戦争どころか、両軍の将士が相擁してカヴァを酌みかわし、盛んな交驩《こうかん》が行われたらしい。それが、突然の不注意な一発の偽砲から、忽《たちま》ち乱闘に変じ、本ものの戦争になった。夕刻になって、マターファ軍が退き、マリエ外郭の石壁に拠って昨夜一晩中防戦したが、今朝になって終《つい》に潰《つい》えた。マターファは村を焼いて、海路サヴァイイヘ逃れたという。
 長い間此の島の精神的な王者だったマターファの没落に対して、言うべき言葉を知らぬ。一年前だったら、彼は、ラウペパをも白人政府をも容易に一掃し得ただろうに。マターファと共に、我が褐色の友の多くが災害を受けたに違いない。俺は彼等の為に何をしたか? 今後も、何を為し得るか? 蔑《さげす》むべき気象観測者!
 昼食後、街へ。病院へ行って見たら、ウル(肺をやられた酋長の名)は、まだ不思議に生きていた。腹をやられた男は既に死んでいた。
 斬取《きりと》られた十一の首がムリヌウに持込まれた。土人等の大いに驚き懼《おそ》れたことに、其の首の一つは、少女のであった。しかも、サヴァイイの或る村のタウポウ(村を代表する美しい娘)の首だった。南海の騎士を以て任ずるサモア人の間に在って、之は許すべからざる暴行である。此の首だけは、最上等の絹に包まれ、叮寧《ていねい》な陳謝状と共に、早速、マリエヘ送り返されたそうだ。少女は父の手伝に弾薬でも運んでいた所を射たれたものに違いない。父親の兜《かぶと》の飾り毛にする為に自分の髪を刈ったらしく、男の様な刈上げだったので、首を取られたのだともいう。しかし、何と、彼女の美にふさわしき、選ばれたる最期でありしよ!
 マターファの甥のレアウペペだけは、首と胴と両方とも運ばれた。ムリヌウの大通りでラウペパがそれを閲見し、部下の功労に謝する演説をした。
 二度目に病院に寄った時、看護婦や看護卒は一人もいず、患者の家族だけだった。患者も附添人も木枕で昼寝をしていた。軽傷の美青年がいた。二人の少女が彼をいたわり、共に左右から彼の枕に枕しておった。他の一隅には、誰も附添っていない一人の負傷者が、打捨てられ、毅然《きぜん》たる様子で横たわっていた。前の美青年に比べて、遥かに立派な態度と映ったが、彼の容貌は美しくはなかった。顔面構造の極微の差が齎《もたら》す何という甚だしい相違!

七月十日
 今日は疲れて動けない。
 更に多くの首がムリヌウに持込まれたそうだ。首狩の風をやめさせるのは容易なことではない。「之以外のどんな方法で勇敢さを証《あか》し得るか?」又、「ダヴィッドがゴライアスを退治した時、彼は巨人の首を持帰らなかったか?」と彼等はいう。しかし、今度の、少女の首を取ったことだけは、全く恐縮しているようだ。
 マターファは無事にサヴァイイに迎えられたという説と、サヴァイイヘの上陸を拒絶されたという説とが行われている。どちらが本当か、まだ判らない。サヴァイイに迎えられたとすれば、尚大規模な戦争が続けられよう。

七月十二日
 確かな報道は入らず。流言のみ頻《しき》りなり。ラウペパ軍はマノノヘ向け進発したと。

七月十三日
 マターファがサヴァイイを追われ、マノノに戻った由、確報あり。

七月十七日
 最近|投錨《とうびょう》したカトゥーバ号のビックフォード艦長を訪う。彼は、マターファ鎮圧の命を受け、明朝払暁、マノノヘ向けて出航すると。マターファの為、艦長の能《あた》う限りの好意を約束して貰う。
 しかし、マターファはおめおめ[#「おめおめ」に傍点]と降伏するだろうか? 彼の一統は武装解除に甘んずるだろうか?
 マノノヘ激励の書信をやるすべもない。

   十三

 独・英・米三国に対する敗残の一マターファでは、帰趨《きすう》は余りに明かであった。マノノ島へ急航したビックフォード艦長は三時間の期限付で降服を促した。マターファは投降し、同時に、追撃して来たラウペパ軍のためにマノノは焼かれ掠奪《りゃくだつ》された。マターファは称号|剥奪《はくだつ》の上、遥かヤルート島へ流謫《るたく》され、彼の部下の酋長《しゅうちょう》十三人もそれぞれ他の島々に追放された。叛乱者側の村々への科料六千六百|磅《ポンド》。ムリヌウ監獄に投ぜられた大小酋長二十七人。之が凡《すべ》ての結果であった。
 躍気になったスティヴンスンの奔走も無駄になった。流竄者《りゅうざんしゃ》は家族の帯同を許されず、又、何人との文通をも禁ぜられた。彼等を訪ねることの出来るのは牧師だけである。スティヴンスンはマターファヘの書信と贈物とをカトリックの僧に託そうとしたが、拒絶された。マターファは凡ての親しい者、親しい土地と切離され、北方の低い珊瑚《さんご》島で、鹹気《しおけ》のある水を飲んでいる。(高山渓流に富むサモアの人間は鹹水に一番閉口する。)彼はどんな罪を犯したのか? サモアの古来の習慣に従って当然要求すべき王位を、遠慮して気永に待ち過ぎたという罪を犯しただけだ。そのため、敵に乗ぜられ、喧嘩《けんか》を売付けられ、叛逆者の名を宣せられたのである。最後迄忠実にアピア政府に税金を納めていたのは彼であった。首狩禁絶を主張する少数の白人の説を用いて、真先に之を部下に実行させたのは彼であった。彼は、白人をも含めた全サモア居住者の中で(とスティヴンスンは主張する。)最も嘘言《きょげん》を吐《つ》かぬ人間だ。しかも、斯《こ》うした男の不幸を救う為に、スティヴンスンは何一つして遣れなかった。マターファは彼をあんなに信頼していたのに。文通の手段の絶たれたマターファは恐らく、スティヴンスンのことを、親切そうなことを言いながら結局何一つ実際にはして呉れない白人[#「白人」に傍点](ありきたりの白人[#「白人」に傍点])に過ぎなかったのだと、失望しているのではないか?
 戦死者の一族の女が、戦死の場所へ行って花蓆《はなむしろ》を其処に拡げる。蝶とか其の他の昆虫が来て、それにとまる。一度追う。逃げる。又追う。逃げる。それでも三度目に其処へとまりに来たら、それは其処で戦死した者の魂と見做《みな》される。女は其の虫を叮寧《ていねい》に捕え、家に持帰って祀《まつ》るのである。こうした傷心の風景が随処に見られた。一方、投獄された酋長達が毎日|笞《むち》打《う》たれているという噂もあった。こうした事を見《み》聞《きき》するにつけ、スティヴンスンは、自らを、何の役にも立たぬ文士として責めた。久しく止めていたタイムズヘの公開状も再び書始められた。肉体の衰弱と制作の不活溌《ふかっぱつ》とに加えて、自己に対し、世界に対しての、名状し難い憤りが、彼の日々を支配した。

   十四

一八九三年十一月×日
 いやな雨もよいの朝、巨《おお》きな雲。海の上に落ちた其の巨大な藍灰色《らんかいしょく》の影。朝七時だというのに、まだ灯をつけている。
 ベルはキニーネを必要とし、ロイドは腹をこわし、私は瀟洒たる[#「瀟洒たる」に傍点]小喀血《しょうかっけつ》。
 何か不快な朝だ。我を取囲む錯雑せる悲惨《みじめさ》の意識。事物そのものに内在せる悲劇が作用《はたら》いて救い難い暗さに迄私を塗込める。
 生は常に麦酒《ビール》と九柱戯ばかりではない。しかし、私は結局、事物の究極の適正を信ずる。私が一朝眼覚めた時地獄に堕《お》ちていようとも、私の此の信念は変るまい。しかも、それにも拘《かか》わらず、依然として此の生の歩みは辛い。私は私の歩み方の誤を認め、結果の前に惨めに厳粛に叩頭《こうとう》せねばならぬ。…………さもあらばあれ、Il faut cultiver son jardin. だ。憐れむべき人間共の智慧の最後の表現が之だ。私は再び私の・心進まぬ制作に立返る。「ウィア・オヴ・ハーミストン」を又取上げ、又もてあましているのだ。「セント・アイヴス」も遅々として進行しつつある。
 私は、自分が、今、知的生活を送る人間に通有の、一つの転換期にあるのだという事を知っているが故に、絶望はしない。しかし、私が、私の文学の行詰りにぶっつかっているのは事実だ。「セント・アイヴス」にも自信が持てない。安っぽい小説《ロマンス》だ。
 若い時に、何故、着実平凡な商売を選ばなかったかと、今、ふと、そんな気がする。そういう商売にはいっていたら、今の様なスランプの時にも、立派に自分を支えて行けたろうに。
 私の技巧は私を見棄て、インスピレーションも、それから、私が永い間の英雄的な努力によって習得したスタイル迄が失われたように思われる。スタイルを失った作家は惨めだ。今迄無意識に働かしていた不随意筋を、一々意志を以て動かさねばならないのだから。
 しかし、一方「難破船引揚業者《レッカー》」の売行が大変良いそうだ。「カトリオーナ」(デイヴィッド・バルフォアの改題)の方が不評で、あんな作品の方が売れるなどとは、皮肉だが、兎に角余り絶望しないで二番芽生を待つことにしよう。今後私の健康が回復して、頭の方まで快くなるようなことは、到底あり得まいが。但し、文学なるものは、考え方によれば、多少病的な分泌に違いないのだ。エマアソンに言わせれば、人の智慧は其の人の有《も》つ希望の有無多少によって計られるのだそうだから、私も希望を失わぬことにしよう。
 だが、私は、どうしても芸術家としての自分を大したものと思うことが出来ぬ。限界が余りに明かなのだ。私は自分を単に昔風の職人と考えて来た。さて、今、其の技術が低下したとあっては? 今や私は、何の役にも立たぬ厄介者だ。原因は唯二つ。二十年間の刻苦と、病気とだ。この二つが、牛乳から乳精《クリイム》をすっかり絞りつくして了ったのだ。…………
 音高く、森の向うから、雨が近附いて来る。忽《たちま》ち、屋根を叩く猛烈な響。湿った大地の匂。爽《さわや》かに、何かハイランド的な感じだ。窓から外を見れば、驟雨《しゅうう》の水晶棒が万物の上に激しい飛沫《しぶき》を叩きつけている。風。風が快い涼しさを運んで来る。雨はじきに過ぎたが、まだ近処を襲っている音だけは、ザアーッと盛んに聞えている。雨垂の一滴が日本簾《にほんすだれ》を通して私の顔にはねた。窓の前を屋根から、まだ雨水が小川のように落ちている。快し! それは私の心の中にある何かに応えるもの
前へ 次へ
全18ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング