た。彼は、有能な実際的科学者で、忠実な大英国の技術官で、敬虔《けいけん》なスコットランド教会の信徒で、かの基督《キリスト》教のキケロといわれるラクタンティウスの愛読者で、又、骨董《こっとう》と向日葵《ひまわり》との愛好者だった。彼の息子の記す所によれば、トマス・スティヴンスンは、常に、自己の価値に就いて甚だしく否定的な考を抱き、ケルト的な憂鬱《ゆううつ》を以て、絶えず死を思い無常を観じていたという。
高貴な古都と、其処に住む宗教的な人々(彼の家族をも含めて)とを、青年期のロバァト・ルゥイス・スティヴンスンは激しく嫌悪した。プレスビテリアンの中心たる此の都が、彼には悉く偽善の府と見えたのである。十八世紀の後半、此の都にディーコン・ブロディなる男がいた。昼間は指物師をやり市会議員を勤めていたが、夜になると一変して賭博者《とばくしゃ》となり、兇悪《きょうあく》な強盗となって活躍した。大分久しい後に漸《ようや》く顕《あらわ》れて処刑されたが、この男こそエディンバラ上流人士の象徴だと、二十歳のスティヴンスンは考えた。彼は、通い慣れた教会の代りに、下町の酒場へ通い出した。息子の文学者志望宣言(父
前へ
次へ
全177ページ中56ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング