それのみが私を、(或いは芸術家を)行為にまで動かし得るのだ。所で、今の私にとって、其の「直接《じか》に感じられるもの」とは何か、といえば、それは、「私が最早一旅行者の好奇の眼を以てでなく、一居住者の愛著《あいちゃく》を以て、此の島と、島の人々とを愛し始めた」ということである。
 兎に角、目前に危険の感じられる内乱と、又、それを誘発すべき白人の圧迫とを、何とかして防がねばならぬ。しかも、斯《こ》うした事柄に於ける私の無力さ! 私は、まだ選挙権さえ有っていない。アピアの要人達と会って話して見るのだが、彼等は私を真面目に扱っていないように思われる。辛抱して私の話を聞いて呉れるのも、実は、文学者としての私の名声に対してのことに過ぎない。私が立去ったあとでは、屹度《きっと》舌でも出しているに相違ない。
 自分の無力感が、いたく私を噛む。この愚劣と不正と貪慾《どんよく》とが日一日と烈しくなって行くのを見ながら、それに対して何事をも為し得ないとは!

九月××日
 マノノで又新しい事件が起った。全く、こんなに騒動ばかり起す島はない。小さな島のくせに、全サモアの紛争の七割は、此処から発生する。マノノの
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