は完全に潰《つい》えた。
 憤激した独逸領事は、軍艦を用いて島全体に頗《すこぶ》る過激な手段を加えようとした。再び、英米、殊に米国が正面から之に反対し、各国はそれぞれ軍艦をアピアに急航させて、事態は更に緊迫した。一八八九年の三月、アピア湾内には、米艦二隻英艦一隻が独艦三隻と対峙《たいじ》し、市の背後の森林にはマターファの率いる叛軍が虎視|眈々《たんたん》と機を窺《うかが》っていた。方《まさ》に一触即発のこの時、天は絶妙な劇作家的手腕を揮《ふる》って人々を驚かせた。かの歴史的な大惨禍、一八八九年の大|颶風《ハリケーン》が襲来したのである。想像を絶した大暴風雨がまる[#「まる」に傍点]一昼夜続いた後、前日の夕方迄|碇泊《ていはく》していた六隻の軍艦の中、大破損を受けながらも兎に角水面に浮んでいたのは、僅か一隻に過ぎなかった。最早、敵も味方もなくなり、白人も土人も一団となって復旧作業に忙しく働いた。市の背後の密林に潜んでいた叛軍の連中迄が、街や海岸に出て来て、死体の収容や負傷者の看護に当った。今は独逸人も彼等を捕えようとはしなかった。此の惨禍は、対立した感情の上に意外な融和を齎《もたら》した
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