『南洋研究の資料|蒐集《しうしふ》[#ルビの「しうしふ」は底本では「しうしう」]、或ひは科学的観察ならば、又、他に人もあるべし。読者のR・L・S・氏に望む所のものは、固《もと》よりその麗筆に係る南海の猟奇的冒険詩に有之候』冗談ではない。私があの原稿を書く時、頭に浮べていた模範《モデル》は、十八世紀風の紀行文、筆者の主観や情緒を抑えて、即物的な観察に終始した・ああいう行き方なのだ。「宝島」の作者は何時迄も海賊と埋もれた宝物のことを書いていればいいのであって、南海の殖民事情や、土着民の人口減少現象や、布教状態に就いて考察する資格が無いとでもいうのか? やり切れないことには、ファニイ迄が亜米利加《アメリカ》の編輯者と同意見なのだ。「精確な観察よりも、華《はな》やかで面白い話[#「話」に傍点]を書かなければ、」と云うのだ。
大体、私は近頃、従来の自分の極彩色描写が段々|厭《いや》になって来た。最近の私の文体は、次の二つを目指している積りだ。一、無用の形容詞の絶滅。二、視覚的描写への宣戦。ニューヨーク・サン紙の編輯者にもファニイにもロイドにも、未だに此の事が解らないのだ。
「難破船引揚業者《
前へ
次へ
全177ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング