詩人も、自己の作品の中に於てなら、友情が家庭や妻のために蒙《こうむ》らねばならぬ変化を充分冷静に観察できた筈だのに、今、実際眼の前で、最も魅力ある友が一婦人のために奪い去られるのには、我慢がならなかったのである。スティヴンスンの方でも、確かに、フアニイの才能に就いて幾分誤算をしていた所があった。一寸利口な婦人ならば誰しもが本能的に備えている男性心理への鋭い洞察[#「男性心理への鋭い洞察」に傍点]や、又、そのジャアナリスティックな才能を、芸術的な批評能力と買いかぶった所が確かにあった。後になって、彼も其の誤算に気付き、時として心服しかねる妻の批評(というより干渉といっていい位、強いもの)に辟易《へきえき》せねばならなかった。「鋼鉄《はがね》の如く真剣に、刃《やいば》の如く剛直な妻」と、或る戯詩の中で、彼はファニイの前に兜《かぶと》を脱いだ。
 連子のロイドは、義父と生活を共にしている間に、何時か自分も小説を書くことを覚え出した。此の青年も母親に似て、ジャアナリスト的な才能を多く有《も》っているようである。息子の書いたものに義父が筆を加え、それを母親が批評するという、妙な一家が出来上った。
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