てることは、彼にとって、子供の時から、食慾と同じ位に強い本能だった。コリントンの(母方の)祖父の所へ行く時は、何時も其の辺の森や川や水車に合いそうな物語を拵えて、ウェイヴァリ・ノヴルス中の諸人物を縦横に活躍させたものだ。ガイ・マナリングやロブ・ロイやアンドルウ・フェアサーヴィスなどを。蒼白い、ひよわな少年の頃の其の癖が未だに抜けきらない。というよりも、哀れな大小説家R・L・S・氏は斯うした幼稚な空想以外に創作衝動を知らないのである。雲のように湧起る空想的情景。万華鏡の如き影像の乱舞。それを見た儘《まま》に写し出す。(だから、あとは技巧だけの問題だ。しかも其の技巧には充分自信があった。)之が、彼の・唯一無二の・此の上なく楽しい制作方法であった。之には、良いも悪いもない。他に方法を知らないのだから。「何と云われようとも、俺は俺の行き方を固執して俺の物語を書くだけのことだ。人生は短い。人間は所詮 Pulvis et Umbra じゃ。何を苦しんで、牡蠣《かき》や蝙蝠《こうもり》共の気に入るために、面白くもない深刻な借物の作品を書くことがあろう。俺は俺の為に書く。たとえ、一人の読者が無くなろうとも、俺という最大の愛読者がある限りは。愛すべきR・L・S・氏の独断を見よ!」
 事実、作品を書終えるや否や、彼は作者たることを止めて、其の作品の愛読者になった。誰よりも熱心な愛読者に。彼は、まるで、それが他の誰か(最も好きな作家)の作品であるかのように、そして、其の作品のプロットも帰結も何も知らない一人の読者として、心から楽しく読耽《よみふけ》るのである。それが、今度の「退潮《エッブ・タイド》」に限って、我慢にも読みつづけられなかった。才能の涸渇《こかつ》だろうか? 肉体の衰弱による自信の減退だろうか? 喘《あえ》ぎながら、彼は、殆ど習慣の力だけで、とぼとぼと稿を続けて行った

   十二

一八九三年六月二十四日
 戦争近かるべし。
 昨夜、我が家の前の道を、ラウペパ王が面を覆《つつ》み、騎乗して、何用のためか、あわただしく走り過ぎた。料理人が確かにそれを見たという。
 一方、マターファはマターファで、毎朝眼を覚ますと、必ず、昨夜《ゆうべ》迄は無かった新しい白人の箱[#「白人の箱」に傍点](弾薬箱のこと)に取囲まれているのを見出すという。何処から集まって来るのか、彼にも分らないのだ。
 武装兵の行進、諸|酋長《しゅうちょう》の来往、漸《ようや》く繁し。

六月二十七日
 街へ下りてニュウスを聞く。流説紛々。昨夜遅く太鼓が響き、人々は武器を取ってムリヌウに馳《は》せつけたが、何事もなかったと。今の所、アピア市には、事なし。市参事官に尋ねたが、情報なしという。
 街から西の渡し場迄行って、マターファ側の村々の様子を見ようと、馬に騎《の》る。ヴァイムスまで行くと、路傍の家々に人々がごたごた立騒いでいたが、武装はしていない。川を渡る。三百|碼《ヤード》で又、川。対岸の木蔭にウィンチェスターを担った七人の歩哨《ほしょう》がいる。近づいても、動きもしなければ声を掛けもしない。目で追うたのみ。私は馬に水を飲ませ、「タロファ!」と挨拶して其処を過ぎた。歩哨隊長も「タロファ!」と応えた。之から先の村には武装兵が一杯に詰めかけている。支那人商人の住む洋館一棟あり。中立旗が門の所に翻る。ヴェランダには人々、女達が多勢立って外を眺めている。中には銃を持った者もいた。此の支那人ばかりではなく、島に住む外国人は皆自己の資財を守るに汲々《きゅうきゅう》としている。(チーフ・ジャスティスと政務長官とがムリヌウからティヴォリ・ホテルに避難したそうだ。)途で土民兵の一隊が銃を担い弾薬筒を帯び、生々した様子で行進して来るのに遇う。ヴァイムスに着く。村の広場《マラエ》には武装した男達が充満。会議室の中にも人々が満ち、その出口の所から外を向いて、一人の演説者が大声でしゃべっている。誰の顔にも歓ばしげな昂奮《こうふん》がある。見知り越しの老酋長《ろうしゅうちょう》の所へ寄ったが、此の前会った時とは打って変って、若々しく活気づいて見えた。少し休んで一緒にスルイを吸う。帰ろうとして外へ出た時、顔を黒く隈《くま》どり、腰布のうしろを捲上《まきあ》げて臀部《でんぶ》の入墨をあらわした一人の男が進み出て、妙な踊をして見せ、小刀を空高く投上げて、それを見事に受けとめて見せた。野蛮で幻想的で、生気に溢《あふ》れた観ものである。以前にも少年がこんな事をするのを見たことがあるから、之は屹度《きっと》戦争時の儀礼みたいなものであろう。
 家に帰ってからも、彼等の緊張した幸福げな顔が、頭の中に渦巻いている。我々の中なる古き蛮人が目覚め、種馬の如くに昂奮するのだ。しかし、私は、騒乱をよそに、じっとしておらねば
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