行く。王と約束の会見の為なり。十時迄待ったが、王は来らず。使が来て、王は今、政務長官と用談中にて来られぬとのこと。夜七時頃なら来られるという。一旦家に戻り、夕刻又ホイットミイ氏の家に来て、八時頃迄待ったが、竟《つい》に来ない。無駄骨折って疲労甚だし。長官の監視を逃れて、こっそりやって来ることさえ、弱気なラウペパには出来ないのだ。

五月×日
 午前五時半出発、ファニイ、ベル、同道。通訳兼|漕手《こぎて》として、料理人のタロロを連れて行く。七時に礁湖を漕出す。気分未だすぐれず。マリエに着きマターファから大歓迎を受く。但し、ファニイ、ベル、共に余が妻と思われたらしい。タロロは通訳としては、まるで成っていない。マターファが長々としゃべるのに、此の通訳は、唯、「私は大いに驚いた。」としか訳せない。何を言っても「驚いた」一点張。余の言葉を先方に伝えることも同然らしい。用談|進捗《しんちょく》せず。
 カヴァ酒を飲み、アロウ・ルウトの料理を喰う。食後、マターファと散歩。余の貧弱なるサモア語の許す範囲で語合った。婦人連の為に、家の前で舞踏が行われた。
 暮れてから帰途に就く。此のあたり、礁湖|頗《すこぶ》る浅く、ボートの底が方々にぶっつかる。繊月光淡し。大分沖へ出た頃、サヴァイイから帰る数隻の捕鯨ボートに追越される。灯をつけた・十二|丁《ちょう》櫓《ろ》・四十人乗の大型ボート。どの船でも皆漕ぎながら合唱していた。
 遅いのでうち[#「うち」に傍点]へは帰れず。アピアのホテルに泊る。

五月××日
 朝、雨中を馬でアピアヘ。今日の通訳サレ・テーラーと待合せ、午後から、又マリエヘ行く。今日は陸路。七|哩《マイル》の間ずっと土砂降。泥濘《ぬかるみ》。馬の頸《くび》に達する雑草。豚小舎の柵《さく》も八ヶ所程飛越す。マリエに着いた時は、既に薄暮。マリエの村には相当立派な民家がかなり在る。高いドーム型の茅屋根《かややね》をもち、床に小石を敷いた・四方の壁の明けっぱなしの建物だ。マターファの家も流石《さすが》に立派だ。家の中は既に暗く、椰子殻《やしがら》の灯が中央に灯《とも》っていた。四人の召使が出て来て、マターファは今、礼拝堂にいるという。其の方角から歌声が洩《も》れて来た。
 やがて、主人がはいって来、我々が濡れた着物を換えてから、正式の挨拶あり。カヴァ酒が出る。列座の諸|酋長《しゅうちょ
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