のようなもので、会い度いから来週の月曜にマリエヘ来て呉れという。土語の聖書を唯一の参考にして(「我誠に汝らに告ぐ」式の手紙だから、先方も驚くだろう。)承知の旨をたどたどしいサモア語でしたためる。一週間の中に、王と、其の対立者とに会う訳だ。斡旋《あっせん》の実が挙がれば良いと思う。

四月×日
 身体の工合余り良からず。
 約束故、ムリヌウの、みすぼらしき王宮へ御馳走になりに行く。何時もながら、直ぐ向いの政務長官官邸が眼障りでならぬ。今日のラウペパの話は面白かった。五年前悲壮な決意を以て独逸《ドイツ》の陣営に身を投じ、軍艦に載せられて見知らぬ土地に連れ行かれた時の話である。素朴な表現が心を打った。
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「…………昼はいけないが、夜だけは甲板に上ってもいいと言われた。長い航海の後、一つの港に着いた。上陸すると、恐ろしく暑い土地で、足首を二人ずつ鉄の鎖で繋《つな》がれた囚人等が働いていた。其処には浜の真砂《まさご》のように数多くの黒人がいた。…………それから又大分船に乗り、独逸も近いと言われた頃、不思議な海岸を見た。見渡す限り真白な崖が陽に輝いているのだ。三時間も経つと、それが天に消えて了ったので、更に驚いた。…………独逸に上陸してから、中に汽車というものの沢山はいっている硝子《ガラス》屋根の巨《おお》きな建物の中を歩いた。それから、家みたいに窓とデッキとのある馬車に乗り、五百も部屋のある家に泊った。…………独逸を離れて大分航海してから、川の様な狭い海を船がゆっくり進んだ。聖書の中で聞いていた紅海だと教えられ、欣《よろこ》ばしい好奇心で眺めた。それから、海の上を夕陽の色が眩《まぶ》しく赤々と流れる時刻に、別の軍艦に乗移らせられた。…………」
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 古い、美しいサモア語の発音で、ゆっくりゆっくり語られる此の話は、大変面白かった。
 王は、私がマターファの名を口に出すことを懼《おそ》れているらしい。話好きな、人の善い老人だ。ただ、現在の自分の位置に就いての自覚が無いのである。明後日、又、是非訪ねて呉れという。マターファとの会見も迫っているし、身体の工合も良くないが、兎に角承知して置く。以後、通訳は、牧師のホイットミイ氏に頼もうと思う。同氏の宅で明後日、王と落合うことに決める。

四月×日
 早朝馬で街へ下り、八時頃ホイットミイ氏の家へ
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