考え、必然を完全と感じていることだ。さらには、その必然を自由と看做《みな》していることだ。金剛石《こんごうせき》と炭とは同じ物質からでき上がっているのだそうだが、その金剛石と炭よりももっと違い方のはなはだしいこの二人の生き方が、ともにこうした現実の受取り方の上に立っているのはおもしろい。そして、この「必然と自由の等置《とうち》」こそ、彼らが天才であることの徴《しるし》でなくてなんであろうか?
悟空《ごくう》、八戒《はっかい》、俺《おれ》と我々三人は、まったくおかしいくらいそれぞれに違っている。日が暮れて宿がなく、路傍の廃寺に泊まることに相談が一決するときでも、三人はそれぞれ違った考えのもとに一致しているのである。悟空はかかる廃寺こそ究竟《くっきょう》の妖怪《ようかい》退治の場所だとして、進んで選ぶのだ。八戒は、いまさらよそを尋ねるのも億劫《おっくう》だし、早く家にはいって食事もしたいし、眠くもあるし、というのだし、俺の場合は、「どうせこのへんは邪悪な妖精《ようせい》に満ちているのだろう。どこへ行ったって災難に遭《あ》うのだとすれば、ここを災難の場所として選んでもいいではないか」と考
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