えるのだ。生きものが三人寄れば、皆このように違うものであろうか? 生きものの生き方ほどおもしろいものはない。

 孫行者《そんぎょうじゃ》の華《はな》やかさに圧倒されて、すっかり影の薄らいだ感じだが、猪悟能八戒《ちょごのうはっかい》もまた特色のある男には違いない。とにかく、この豚は恐ろしくこの生を、この世を愛しておる。嗅覚《きゅうかく》・味覚・触覚のすべてを挙げて、この世に執《しゅう》しておる。あるとき八戒《はっかい》が俺《おれ》に言ったことがある。「我々が天竺《てんじく》へ行くのはなんのためだ? 善業を修《ず》して来世に極楽に生まれんがためだろうか? ところで、その極楽《ごくらく》とはどんなところだろう。蓮《はす》の葉の上に乗っかってただゆらゆら揺れているだけではしようがないじゃないか。極楽にも、あの湯気の立つ羹《あつもの》をフウフウ吹きながら吸う楽しみや、こりこり[#「こりこり」に傍点]皮の焦《こ》げた香ばしい焼肉を頬張《ほおば》る楽しみがあるのだろうか? そうでなくて、話に聞く仙人のようにただ霞《かすみ》を吸って生きていくだけだったら、ああ、厭《いや》だ、厭だ。そんな極楽なんか、
前へ 次へ
全32ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング