師父を救い出しに行くのだ。「あぶなくて見ちゃいられない。どうして先生はああなんだろうなあ!」と言うとき、悟空はそれを弱きものへの憐愍《れんびん》だと自惚《うぬぼ》れているらしいが、実は、悟空の師に対する気持の中に、生き物のすべてがもつ・優者に対する本能的な畏敬《いけい》、美と貴さへの憧憬《どうけい》がたぶんに加わっていることを、彼はみずから知らぬのである。
 もっとおかしいのは、師父自身が、自分の悟空に対する優越をご存じないことだ。妖怪の手から救い出されるたびごとに、師は涙を流して悟空に感謝される。「お前が助けてくれなかったら、わし[#「わし」に傍点]の生命はなかったろうに!」と。だが、実際は、どんな妖怪に喰《く》われようと、師の生命は死にはせぬのだ。
 二人とも自分たちの真の関係を知らずに、互いに敬愛し合って(もちろん、ときにはちょっとしたいさかい[#「いさかい」に傍点]はあるにしても)いるのは、おもしろい眺めである。およそ対蹠《たいせき》的なこの二人の間に、しかし、たった一つ共通点があることに、俺《おれ》は気がついた。それは、二人がその生き方において、ともに、所与《しょよ》を必然と
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