できないような事態が世には存在するかもしれぬ。しかし、師の場合にはその心配はない。師にとっては、何も打開する必要がないのだから。
 悟空には、嚇怒《かくど》はあっても苦悩はない。歓喜はあっても憂愁《ゆうしゅう》はない。彼が単純にこの生を肯定《こうてい》できるのになんの不思議もない。三蔵法師の場合はどうか? あの病身と、禦《ふせ》ぐことを知らない弱さと、常に妖怪《ようかい》どもの迫害を受けている日々とをもってして、なお師父《しふ》は怡《たの》しげに生を肯《うべな》われる。これはたいしたことではないか!
 おかしいことに、悟空は、師の自分より優《まさ》っているこの点を理解していない。ただなんとなく師父から離れられないのだと思っている。機嫌《きげん》の悪いときには、自分が三蔵法師に随《したが》っているのは、ただ緊箍咒《きんそうじゅ》(悟空の頭に箝《は》められている金の輪で、悟空が三蔵法師の命に従わぬときにはこの輪が肉に喰《く》い入って彼の頭を緊《し》め付け、堪えがたい痛みを起こすのだ。)のためだ、などと考えたりしている。そして「世話の焼ける先生だ。」などとブツブツ言いながら、妖怪に捕えられた
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