けないのだ。実際、正直なところを言えば、悟空は、どう考えてもあまり有難《ありがた》い朋輩《ほうばい》とは言えない。人の気持に思い遣《や》りがなく、ただもう頭からガミガミ怒鳴り付ける。自己の能力を標準にして他人《ひと》にもそれを要求し、それができないからとて怒《おこ》りつけるのだから堪《たま》らない。彼は自分の才能の非凡さについての自覚がないのだとも言える。彼が意地悪でないことだけは、確かに俺たちにもよく解《わか》る。ただ彼には弱者の能力の程度がうまく[#「うまく」に傍点]呑《の》み込めず、したがって、弱者の狐疑《こぎ》・躊躇《ちゅうちょ》・不安などにいっこう同情がないので、つい、あまりのじれったさ[#「じれったさ」に傍点]に疳癪《かんしゃく》を起こすのだ。俺たちの無能力が彼を怒らせさえしなければ、彼は実に人の善い無邪気な子供のような男だ。八戒はいつも寐《ね》すごしたり怠《なま》けたり化け損《そこな》ったりして、怒られどおしである。俺が比較的彼を怒らせないのは、今まで彼と一定の距離を保っていて彼の前にあまりボロを出さないようにしていたからだ。こんなことではいつまで経《た》っても学べるわけがない。もっと悟空に近づき、いかに彼の荒さが神経にこたえようとも、どんどん叱《しか》られ殴《なぐ》られ罵《ののし》られ、こちらからも罵り返して、身をもってあの猿《さる》からすべてを学び取らねばならぬ。遠方から眺めて感嘆しているだけではなんにもならない。
夜。俺《おれ》は独《ひと》り目覚めている。
今夜は宿が見つからず、山蔭《やまかげ》の渓谷の大樹の下に草を藉《し》いて、四人がごろ[#「ごろ」に傍点]寐《ね》をしている。一人おいて向こうに寐ているはずの悟空《ごくう》の鼾《いびき》が山谷《さんこく》に谺《こだま》するばかりで、そのたびに頭上の木の葉の露がパラパラと落ちてくる。夏とはいえ山の夜気はさすがにうすら寒い。もう真夜中は過ぎたに違いない。俺は先刻から仰向《あおむ》けに寐ころんだまま、木の葉の隙《あいだ》から覗《のぞ》く星どもを見上げている。寂しい。何かひどく寂しい。自分があの淋《さび》しい星の上にたった独りで立って、まっ暗な・冷たい・なんにもない世界の夜を眺めているような気がする。星というやつは、以前から、永遠だの無限だのということを考えさせるので、どうも苦手《にがて》だ。それでも、仰向《あおむ》いているものだから、いやでも星を見ないわけにいかない。青白い大きな星のそばに、紅《あか》い小さな星がある。そのずっと下の方に、やや黄色味を帯びた暖かそうな星があるのだが、それは風が吹いて葉が揺れるたびに、見えたり隠れたりする。流れ星が尾を曳《ひ》いて、消える。なぜか知らないが、そのときふと俺は、三蔵法師《さんぞうほうし》の澄んだ寂しげな眼を思い出した。常に遠くを見つめているような・何物かに対する憫《あわ》れみをいつも湛《たた》えているような眼である。それが何に対する憫れみなのか、平生《へいぜい》はいっこう見当が付かないでいたが、今、ひょいと、判《わか》ったような気がした。師父《しふ》はいつも永遠を見ていられる。それから、その永遠と対比された地上のなべてのもの[#「もの」に傍点]の運命《さだめ》をもはっきりと見ておられる。いつかは来る滅亡《ほろび》の前に、それでも可憐《かれん》に花開こうとする叡智《ちえ》や愛情《なさけ》や、そうした数々の善《よ》きものの上に、師父は絶えず凝乎《じっ》と愍《あわ》れみの眼差《まなざし》を注《そそ》いでおられるのではなかろうか。星を見ていると、なんだかそんな気がしてきた。俺は起上がって、隣に寐《ね》ておられる師父の顔を覗《のぞ》き込む。しばらくその安らかな寝顔を見、静かな寝息を聞いているうちに、俺は、心の奥に何かがポッと点火されたようなほの[#「ほの」に傍点]温かさを感じてきた。
[#地から1字上げ]――「わが西遊記」の中――
底本:「李陵・山月記・弟子・名人伝」角川文庫、角川書店
1968(昭和43)年9月10日改版初版発行
1983(昭和58)年9月30日改版24版発行
入力:佐野良二
校正:かとうかおり
1999年2月9日公開
2004年2月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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