どうやら、そんな文句のようでもある。悟浄《ごじょう》はその場に腰を下ろして、なおもじっと聴入った。青白い月光に染まった透明な水の世界の中で、単調な歌声は、風に消えていく狩りの角笛の音《ね》のように、ほそぼそといつまでもひびいていた。
寐《ね》たのでもなく、さりとて覚めていたのでもない。悟浄は、魂が甘く疼《うず》くような気持で茫然《ぼうぜん》と永い間そこに蹲《うずくま》っていた。そのうちに、渠《かれ》は奇妙な、夢とも幻ともつかない世界にはいって行った。水草も魚の影も卒然《そつぜん》と渠の視界から消え去り、急に、得《え》もいわれぬ蘭麝《らんじゃ》の匂《にお》いが漂うてきた。と思うと、見慣れぬ二人の人物がこちらへ進んで来るのを渠は見た。
前なるは手に錫杖《しゃくじょう》をついた一癖《ひとくせ》ありげな偉丈夫《いじょうふ》。後ろなるは、頭に宝珠瓔珞《ほうじゅようらく》を纏《まと》い、頂に肉髻《にくけい》あり、妙相端厳《みょうそうたんげん》、仄《ほの》かに円光《えんこう》を負うておられるは、何さま尋常人《ただびと》ならずと見えた。さて前なるが近づいて言った。
「我は托塔《たくとう》天王の
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