』という約束のもとにみんな生きているらしいぞ。こういう約束がすでに在るのだとすれば、それをいまさら、解らない解らないと言って騒ぎ立てる俺は、なんという気の利《き》かない困りものだろう。まったく。」

       五

 のろま[#「のろま」に傍点]で愚図《ぐず》の悟浄《ごじょう》のことゆえ、翻然大悟《ほんぜんたいご》とか、大活現前《だいかつげんぜん》とかいった鮮《あざ》やかな芸当を見せることはできなかったが、徐々に、目に見えぬ変化が渠《かれ》の上に働いてきたようである。
 はじめ、それは賭《か》けをするような気持であった。一つの選択が許される場合、一つの途《みち》が永遠の泥濘《でいねい》であり、他の途が険《けわ》しくはあってもあるいは救われるかもしれぬのだとすれば、誰しもあとの途を選ぶにきまっている。それだのになぜ躊躇《ちゅうちょ》していたのか。そこで渠《かれ》ははじめて、自分の考え方の中にあった卑《いや》しい功利的なものに気づいた。嶮《けわ》しい途《みち》を選んで苦しみ抜いた揚句《あげく》に、さて結局救われないとなったら取返しのつかない損だ、という気持が知らず知らずの間に、自分の不
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