た。堅彊《けんきょう》は死の徒《と》、柔弱《にゅうじゃく》は生の徒なれば、「学ぼう。学ぼう」というコチコチの態度を忌まれたもののようである。ただ、ほんのときたま、別に誰に向かって言うのでもなく、何か呟《つぶや》いておられることがある。そういうとき、悟浄は急いで聞き耳を立てるのだが、声が低くてたいていは聞きとれない。三《み》月の間、渠はついになんの教えも聞くことができなかった。「賢者《けんじゃ》が他人について知るよりも、愚者《ぐしゃ》が己《おのれ》について知るほうが多いものゆえ、自分の病は自分で治さねばならぬ」というのが、女※[#「人べん+禹」、152−7]氏から聞きえた唯一の言葉だった。三《み》月めの終わりに、悟浄はもはやあきらめて、暇乞《いとまご》いに師のもとへ行った。するとそのとき、珍しくも女※[#「人べん+禹」、152−9]氏は縷々《るる》として悟浄に教えを垂れた。「目が三つないからとて悲しむことの愚かさについて」「爪《つめ》や髪の伸長をも意志によって左右しようとしなければ気が済まない者の不幸について」「酔うている者は車から墜《お》ちても傷つかないことについて」「しかし、一概に考
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