えることが悪いとは言えないのであって、考えない者の幸福は、船酔いを知らぬ豚のようなものだが、ただ考えることについて考えることだけは禁物であるということについて」
 女※[#「人べん+禹」、152−14]氏は、自分のかつて識《し》っていた、ある神智を有する魔物のことを話した。その魔物は、上は星辰《せいしん》の運行から、下は微生物類の生死に至るまで、何一つ知らぬことなく、深甚微妙《しんじんみみょう》な計算によって、既往のあらゆる出来事を溯《さかのぼ》って知りうるとともに、将来起こるべきいかなる出来事をも推知しうるのであった。ところが、この魔物はたいへん不幸だった。というのは、この魔物があるときふと、「自分のすべて予見しうる全世界の出来事が、何故《なにゆえ》に(経過的ないかにして[#「いかにして」に傍点]ではなく、根本的な何故に[#「何故に」に傍点])そのごとく起こらねばならぬか」ということに想到し、その究極の理由が、彼の深甚微妙なる大計算をもってしてもついに探《さが》し出せないことを見いだしたからである。何故|向日葵《ひまわり》は黄色いか。何故草は緑か。何故すべてがかく在《あ》るか。この疑
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