して、食い終わってから、その事実をも忘れたるがごとくに、ふたたび慈悲の説を述べはじめた。忘れたのではなくて、先刻の飢えを充《み》たすための行為は、てんで彼の意識に上っていなかったに相違ない。ここにこそ俺《おれ》の学ぶべきところがあるのかもしれないぞ、と、悟浄《ごじょう》はへん[#「へん」に傍点]な理窟《りくつ》をつけて考えた。俺の生活のどこに、ああした本能的な没我的な瞬間があるか。渠《かれ》は、貴《とうと》き訓《おしえ》を得たと思い、跪《ひざまず》いて拝んだ。いや、こんなふうにして、いちいち概念的な解釈をつけてみなければ気の済まないところに、俺の弱点があるのだ、と、渠は、もう一度思い直した。教訓を、罐詰《かんづめ》にしないで生《なま》のままに身につけること、そうだ、そうだ、と悟浄は今一遍、拝《はい》をしてから、うやうやしく立去った。

 蒲衣子《ほいし》の庵室《あんしつ》は、変わった道場である。僅《わず》か四、五人しか弟子はいないが、彼らはいずれも師の歩みに倣《なろ》うて、自然の秘鑰《ひやく》を探究する者どもであった。探求者というより、陶酔者と言ったほうがいいかもしれない。彼らの勤める
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