が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、はなはだしい謬見《びゅうけん》じゃ。世界が消えても、正体の判《わか》らぬ・この不思議な自己というやつこそ、依然として続くじゃろうよ。」
 悟浄が仕えてからちょうど九十日めの朝、数日間続いた猛烈な腹痛と下痢《げり》ののちに、この老|隠者《いんじゃ》は、ついに斃《たお》れた。かかる醜い下痢と苦しい腹痛とを自分に与えるような客観世界を、自分の死によって抹殺《まっさつ》できることを喜びながら……。
 悟浄は懇《ねんご》ろにあとをとぶらい、涙とともに、また、新しい旅に上った。

 噂《うわさ》によれば、坐忘《ざぼう》先生は常に坐禅《ざぜん》を組んだまま眠り続け、五十日に一度目を覚《さ》まされるだけだという。そして、睡眠中の夢の世界を現実と信じ、たまに目覚めているときは、それを夢と思っておられるそうな。悟浄がこの先生をはるばる尋ね来たとき、やはり先生は睡《ねむ》っておられた。なにしろ流沙河《りゅうさが》で最も深い谷底で、上からの光もほとんど射《さ》して来ない有様ゆえ、悟浄も眼の慣れるまでは見定めにくかったが、やがて、薄暗い底の台の上に結跏趺坐《けっかふざ》した
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