前の俺《おれ》だったら、今のようなおかしな夢なんか見るはずはなかったんだがな。……今の夢の中の菩薩《ぼさつ》の言葉だって、考えてみりゃ、女※[#「人べん+禹」、160−18]《じょう》氏や※[#「虫+糾のつくり」、第4水準2−87−27]髯鮎子《きゅうぜんねんし》の言葉と、ちっとも違ってやしないんだが、今夜はひどく身にこたえるのは、どうも変だぞ。そりゃ俺だって、夢なんかが救済《すくい》になるとは思いはしないさ。しかし、なぜか知らないが、もしかすると、今の夢のお告げの唐僧《とうそう》とやらが、ほんとうにここを通るかもしれないというような気がしてしかたがない。そういうことが起こりそうなときには、そういうことが起こるものだというやつでな。……」
渠はそう思って久しぶりに微笑した。
七
その年の秋、悟浄《ごじょう》は、はたして、大唐《だいとう》の玄奘法師《げんじょうほうし》に値遇《ちぐう》し奉り、その力で、水から出て人間となりかわることができた。そうして、勇敢にして天真爛漫《てんしんらんまん》な聖天大聖《せいてんたいせい》孫悟空《そんごくう》や、怠惰《たいだ》な楽天家、天蓬元帥《てんぽうげんすい》猪悟能《ちょごのう》とともに、新しい遍歴《へんれき》の途に上ることとなった。しかし、その途上でも、まだすっかり[#「すっかり」に傍点]は昔の病の脱《ぬ》け切っていない悟浄は、依然として独り言の癖を止《や》めなかった。渠《かれ》は呟《つぶや》いた。
「どうもへん[#「へん」に傍点]だな。どうも腑《ふ》に落ちない。分からないことを強《し》いて尋ねようとしなくなることが、結局、分かったということなのか? どうも曖昧《あいまい》だな! あまりみごとな脱皮《だっぴ》ではないな! フン、フン、どうも、うまく納得《なっとく》がいかぬ。とにかく、以前ほど、苦にならなくなったのだけは、ありがたいが……。」
[#地から字上げ]――「わが西遊記」の中――
底本:「李陵・山月記・弟子・名人伝」角川文庫 角川書店
1968(昭和43)年9月10日改版初版発行
1998(平成10)年5月30日改版52版発行
入力:佐野良二
校正:松永正敏
2001年3月16日公開
2004年2月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http
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