]と思い浮かべながら、これが彼であるのを見出すのに、どうしてこんなに手間を取ったろうか、と自分ながら呆《あき》れてしまった。そうして私は今や心からの喜びを以て、後から彼の肩を打とうとした。所がその時、真砂町の方から来た一台の電車が停留所に停った。それを見た彼は、私の手がまだ彼の高い肩に達しない前に、そして、私の動作に一向気づきもしないで、あわただしく身を翻《ひるがえ》して、その電車の方へ走って行った。そして、ひらり[#「ひらり」に傍点]と飛乗ると、車掌台から此方《こちら》を向いて右手を一寸挙げて私に会釈し、そのまま、長い身体を折るようにして車内にはいって了った。電車はすぐに動き出した。かくして私は、十何年ぶりかで逢った我が友、趙大煥を、――趙大煥としての一言《ひとこと》をも交さないで、再び、大東京の人混みの中に見失って了ったのだ。



底本:「中島敦全集 1」ちくま文庫、筑摩書房
   1993(平成5)年1月21日第1刷発行
   2000(平成12)年4月5日第7刷発行
底本の親本:「中島敦全集」筑摩書房
   1976(昭和51)年3月〜9月
初出:「光と風と夢」筑摩書房
   1942(昭和17)年7月15日発行
入力:小林繁雄
校正:多羅尾伴内
2003年7月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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