に傍点]と眺めている中に、私は何時《いつ》の間にか覗《のぞ》き眼鏡で南洋の海底でも覗いているような気になってしまっていた。が、併《しか》し又、其《そ》の時、私には趙の感激の仕方が、あまり仰々しすぎると考えられた。彼の「異国的な美」に対する愛好は前からよく知ってはいたけれども、此《こ》の場合の彼の感動には多くの誇張が含まれていることを私は見出し、そして、その誇張を挫《くじ》いてやろうと考えた。で、一通り見終ってから三越を出、二人して本町通を下って行った時、私は彼にわざとこう云ってやった。
 ――そりゃ綺麗でないことはないけれど、だけど、日本の金魚だってあの位は美しいんだぜ。――
 反応は直ぐに現れた。口を噤《つぐ》んだまま正面から私を見返した彼の顔付は――その面皰《にきび》のあと[#「あと」に傍点]だらけな、例によって眼のほそい、鼻翼《びよく》の張った、脣の厚い彼の顔は、私の、繊細な美を解しないことに対する憫笑《びんしょう》や、又、それよりも、今の私の意地の悪いシニカルな態度に対する抗議や、そんなものの交りあった複雑な表情で忽《たちま》ち充たされて了ったのである。その後一週間程、彼は私に口をきかなかったように憶えている。…………

       五

 彼と私との交際の間には、もっと重要なことが沢山あったに相違ないのだが、それでも私はこうした小さな出来事ばかり馬鹿にはっきりと憶えていて、他《ほか》の事は大抵忘れて了《しま》っている。人間の記憶とは大体そういう風に出来ているものらしい。で、この他に私のよく憶えていることといえば、――そう、あの三年生の時の、冬の演習の夜のことだ。
 それは、たしか十一月も末の、風の冷たい日だった。その日、三年以上の生徒は漢江南岸の永登浦《えいとうほ》の近処で発火演習を行《おこな》った。斥候《せっこう》に出た時、小高い丘の疎林《そりん》の間から下を眺めると、其処《そこ》には白い砂原が遠く連なり、その中程あたりを鈍い刃物色をした冬の川がさむざむと流れている。そしてその遥か上の空には、何時《いつ》も見慣れた北漢山のゴツゴツした山骨《さんこつ》が青紫色に空を劃っていたりする。そうした冬枯の景色の間を、背嚢《はいのう》の革や銃の油の匂、又は煙硝《えんしょう》の匂などを嗅ぎながら、私達は一日中駈けずり廻った。
 その夜は漢江の岸の路梁津《ろりょうしん
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