で出かけて行った。母は、とある街角の三角形の奇怪な硝子張りの家の中で、ひとり、机のようにぼんやりと坐っていた。』「青い大尉」(横光利一)
これは作者の現実を見る眼の相違からくるものであって、文学史的に考えて見て、表現派の洗礼を受けた新感覚派に之が見られ、表現派以前である鏡花氏に之が見られないのは当然のことである。
併しながら、その新感覚派の作家達がわずか数年にして、その奇矯なる表現法を捨てて了った(あるいは、それを使いこなす力がなくなって了った。)に対して、鏡花氏は実に三十年一日の如く、その独自の表現法を固守して益々その精彩を加えてきているのである。これは、新感覚派の諸作家の表現法が、単なる一時の雷同ひょっとした思いつき、に止っていたのに反して(横光氏などの場合は、そうとばかりも言いきれないが)鏡花氏のそれ[#「それ」に傍点]が、何よりも、氏自身の中から生れた、身についた表現法であることの証拠であろう、と私は思う。実にかくの如く突兀・奇峭にして、又絢爛を極めた言葉の豪奢な織物でなくては、とても、氏の内なる美しい幻想を――奇怪な心象風景を――写し出すことは出来ないのである。氏の文章は
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