上に起こして怒った。息子の弁解は何一つ聞かれず、すぐにその場を退いて謹慎せよという。
 その夜、仲壬はひそかに斉に奔《はし》った。

 病が次第に篤《あつ》くなり、焦眉《しょうび》の問題として真剣に後嗣のことを考えねばならなくなった時、叔孫豹はやはり仲壬を呼ぼうと思った。豎牛にそれを命ずる。命を受けて出ては行ったが、もちろん斉にいる仲壬に使を出しはしない。さっそく仲壬の許へ使を遣わしたが非道なる父の所へは二度と戻らぬという返辞だったと復命する。この頃になってようやく叔孫にも、この近臣に対する疑いが湧《わ》いて来た。汝《なんじ》の言葉は真実か? と吃《きつ》として聞き返したのはそのためである。どうして私が偽《いつわり》など申しましょう、と答える豎牛の唇の端が、その時|嘲《あざけ》るように歪《ゆが》んだのを病人は見た。こんな事はこの男が邸に来てから全く始めてであった。カッとして病人は起上ろうとしたが、力が無い。すぐ打倒れる。その姿を、上から、黒い牛のような顔が、今度こそ明瞭な侮蔑《ぶべつ》を浮かべて、冷然と見下す。儕輩や部下にしか見せなかったあの残忍な顔である。家人や他の近臣を呼ぼうにも、
前へ 次へ
全12ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング