トいるくせに、視線を向けようともしないのである。

 次の朝、即ちS島を出てから二日目の朝、船はようやくT島に着いた。この航路の終点でもあり、ナポレオン少年の新しい配流地でもある。堡礁内の浅い緑色の水、真白い砂と丈高い椰子樹の遠望、汽船目懸けて素速く漕寄せて来る数隻のカヌー、そのカヌーから船に上って来ては船員の差出す煙草や鰯《いわし》の缶詰などと自分らの持ち来たった鶏や卵などとを交換しようとする島民ども、さては、浜に立って珍しげに船を眺める島人ら。それらは何処の島も変りはない。
 迎えの独木舟が着いた時、巡警は、まだ同じ姿勢で椰子バスケットの間に寝ころがっているナポレオン(彼はとうとう丸二日間、強情に一口も飲食しなかったのだそうだ)にその旨を告げ、足の縄を解いて引起した。ナポレオンは大人しく立上ったが、巡警がなおもその腕を取って警官の方へ引張ろうとした時、憤然とした面持で、島民巡警を不自由な肱《ひじ》で突き飛ばした。突き飛ばされた巡警の愚鈍そうな顔に、瞬間、驚きと共に一種の怖れの表情が浮かんだのを私は見逃さなかった。ナポレオンは独りで警官の後についてタラップを降りた。カヌーに移り、やがてカヌーから岸に下り立ち、二、三の島の者と共に警官について椰子林の間に消えて行くのを、私は甲板から見送った。
 此処で七、八人の島民船客が椰子バスケットを独木舟に積込んで下りて行ったのと入違いに、ここからパラオへ行こうとする十人余りが同じような椰子バスケットを担いで乗込んで来た。無理に大きく引伸ばした耳朶《みみたぶ》に黒光りのする椰子殻製の輪をぶら下げ、首から肩・胸へかけて波状の黥《いれずみ》をした・純然たるトラック風俗である。
 一時間ほどすると、警官と巡警とが船に戻って来た。ナポレオン配流のことを島民らに言って聞かせ、その身柄を村長に託して来たのである。

 出帆は午後になった。
 例によって浜辺には見送りの島の者がずらりと並んで別《わかれ》を惜しんでいる。(一年に三、四回しか見られない大きな[#「大きな」に傍点]船が発《た》つのだから。)
 陽除《ひよけ》の黒眼鏡を掛けて甲板から浜辺を眺めていた私は、彼らの列の中に、どうもナポレオンらしい男の子を見付けた。オヤと思って隣にいた巡警に確かめて見ると、やはり、ナポレオンに違いないと言う。大分離れているので、表情までは分らないが、今はもうすっかり[#「すっかり」に傍点]縛《いまし》めを解かれて、心なしか、明るく元気になったらしく見える。隣りに自分より少し小柄の子供を二人連れ、時々話し合っているのは、既に――上陸後三時間にして早くも乾児《こぶん》を作ってしまったのだろうか?
 船がいよいよ汽笛を鳴らして船首を外海に向け始めた時、ナポレオンが居並ぶ島民らと共に船に向って手を振ったのを、私は確かに見た。あの強情な不貞腐れた少年が、一体どうしてそんな事をする気になったものか。島に上って腹一杯芋を喰ったら、船中の憤懣《ふんまん》もハンガー・ストライキも凡て忘れてしまって、ただ少年らしく人々の真似をして見たくなったのだろうか。あるいは、其処の言葉は既に忘れてしまっても、やはりパラオが懐しく、そこへ帰る船に向って、つい手を振る気になったのだろうか。どちらとも私には判らない。



 国光丸はひたすら北へ向って急ぎ、小ナポレオンのためのセント・ヘレナは、やがて灰色の影となり、煙の如き一線となり、一時間後には遂に完全に、青焔燃ゆる大円盤の彼方に没し去った。
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   真昼


 目がさめた。ウーンと、睡り足りた後の快い伸びをすると、手足の下、背中の下で、砂が――真白な花|珊瑚《さんご》の屑がサラサラと軽く崩れる。汀《なぎさ》から二間と隔たらない所、大きなタマナ樹の茂みの下、濃い茄子《なす》色の影の中で私は昼寝をしていたのである。頭上の枝葉はぎっしりと密生《こ》んでいて、葉洩日もほとんど落ちて来ない。
 起上って沖を見た時、青鯖《さば》色の水を切って走る朱の三角帆の鮮やかさが、私の目をハッキリと醒《さ》めさせた。その帆掛|独木舟《カヌー》は、今ちょうど外海から堡礁《リーフ》の裂目にさしかかったところだった。陽射しの工合から見れば、時刻は午《ひる》を少し廻ったところであろう。
 煙草を一服つけ、また、珊瑚屑の上に腰を下す。静かだ。頭上の葉のそよぎと、ピチャリピチャリと舐《な》めるような渚の水音の外は、時たま堡礁の外の濤《なみ》の音が微《かす》かに響くばかり。
 期限付の約束に追立てられることもなく、また、季節の継ぎ目というものも無しに、ただ長閑《のどか》にダラダラと時が流れて行くこの島では、浦島太郎は決して単なるお話[#「お話」に傍点]ではない。ただこの昔語《むかしがたり》の主人公がその女主人公に見出した魅力を、我々がこの島の肌黒く逞《たくま》しい少女どもに見出しがたいだけのことだ。一体、時間[#「時間」に傍点]という言葉がこの島の語彙《ごい》の中にあるのだろうか?
 一年前、北方の冷たい霧の中で一体自分は何を思い悩んでいたやら、と、ふと私は考えた。何か、それは遠い前の世の出来事ででもあるように思われる。肌に浸みる冬の感覚ももはや生々《なまなま》しく記憶の上に再現することが不可能だ。と同様に、かつて北方で己を責めさいなんだ数々の煩《わずら》いも、単なる事柄の記憶にとどまってしまい、快い忘却の膜の彼方に朧《おぼ》ろな影を残しているに過ぎない。
 では、自分が旅立つ前に期待していた南方の至福とは、これなのだろうか? この昼寝の目醒めの快さ、珊瑚屑の上での静かな忘却と無為と休息となのだろうか?
「いや」とハッキリそれを否定するものが私の中にある。「いや、そうではない。お前が南方に期待していたものは、こんな無為と倦怠とではなかったはずだ。それは、新しい未知の環境の中に己《おのれ》を投出して、己の中にあってまだ己の知らないでいる力を存分に試みることだったのではないのか。更にまた、近く来るべき戦争に当然戦場として選ばれるだろうことを予想しての冒険への期待だったのではないか。」
 そうだ。たしかに。それだのに、その新しい・きびしいものへの翹望《ぎょうぼう》は、いつか快い海軟風《かいなんぷう》の中へと融け去って、今はただ夢のような安逸と怠惰とだけが、懶《ものう》く怡《たの》しく何の悔も無く、私を取り囲んでいる。
「何の悔も無く? 果して、本当に、そうか?」と、また先刻の私の中の意地の悪い奴が聞く。「怠惰でも無為でも構わない。本当にお前が何の悔も無く[#「何の悔も無く」に傍点]あるならば。人工の・欧羅巴《ヨーロッパ》の・近代の・亡霊から完全に解放されているならばだ。ところが、実際は、何時《いつ》何処《どこ》にいたってお前はお前なのだ。銀杏の葉の散る神宮外苑をうそ[#「うそ」に傍点]寒く歩いていた時も、島民どもと石焼のパンの実《み》にむしゃぶりついている時も、お前はいつもお前だ。少しも変りはせぬ。ただ、陽光と熱風とが一時的な厚い面被《ヴェイル》をちょっとお前の意識の上にかぶせているだけだ。お前は今、輝く海と空とを眺めていると思っている。あるいは島民と同じ目で眺めていると自惚《うぬぼ》れているのかも知れぬ。とんでもない。お前は実は、海も空も見ておりはせぬのだ。ただ空間の彼方に目を向けながら心の中で Elle est 〔retrouve'e〕! ―― Quoi? ―― L'〔E'ternite'〕. C'est la mer 〔me^le'e〕 au soleil.(見付かったぞ! 何が? 永遠が。陽と溶け合った海原が)と呪文のように繰返しているだけなのだ。お前は島民をも見ておりはせぬ。ゴーガンの複製を見ておるだけだ。ミクロネシアを見ておるのでもない。ロティとメルヴィルの画いたポリネシアの色|褪《あ》せた再現を見ておるに過ぎぬのだ。そんな蒼ざめた殻をくっつけている目で、何が永遠だ。哀れな奴め!」
「いや、気を付けろよ」と、もう一つの別な声がする。「未開は決して健康ではないぞ。怠惰が健康でないように。謬《あやま》った文明逃避ほど危険なものは無い。」
「そうだ」と先刻の声が答える。「確かに、未開は健康ではない。少くとも現代では。しかし、それでも、お前の文明[#「お前の文明」に傍点]よりはまだしも溌剌《はつらつ》としていはしないか。いや、大体、健康不健康は文明未開ということと係わり無きものだ。現実を恐れぬ者は、借り物でない・己の目でハッキリ視る者は、何時どのような環境にいても健康なのだ。ところが、お前の中にいる『古代|支那《シナ》の衣冠を着けたいかさま[#「いかさま」に傍点]君子』や『ヴォルテエル面《づら》をした狡そうな道化』と来たら、どうだ。先生たち、今こそ南洋の暑気に酔っぱらってよろめいているらしいが、醒めている時の惨めさを思えば、まだしも、酔っている時の方が、まし[#「まし」に傍点]のようだな。……」

 見慣れぬ殻をかぶったちっぽけ[#「ちっぽけ」に傍点]な宿借《やどかり》が三つ四つ私の足許近くまでやって来たが、人の気配を感じて立止り、ちょっと様子を窺《うかが》ってから、慌ててまた逃げて行った。
 村は今昼寝の時刻らしい。誰一人浜を通らぬ。海も――少くとも堡礁の内側の水だけは――トロリと翡翠《ひすい》色にまどろんでいるようだ。時々キラリと眩《まぶ》しく陽を照返すだけで。たまに鯔《ぼら》らしいのが水の上に跳ねるのを見れば、魚類だけは目覚めているらしい。明るい静かな・華やかな海と空だ。今、この海の何処《どこ》かで、半身《はんしん》を生温《なまぬる》い水の上に乗出したトリイトンが嚠喨《りゅうりょう》と貝殻を吹いている。何処か、この晴れ渡った空の下で、薔薇《ばら》色の泡からアフロディテが生れかかっている。何処か紺碧の波の間から、甘美なサイレンの歌が賢いイタカ人《びと》の王を誘惑しようとしている。……いけない! またしても亡霊だ。文学、それも欧羅巴文学とやらいうものの蒼ざめた幽霊だ。
 舌打をしながら私は立上る。ほろ苦いものがしばらくの間心の隅に残っている。
 湿った渚に踏入ると、無数のやどかり[#「やどかり」に傍点]ども、青と赤の玩具のような小蟹どもが一斉に逃げ出す。五寸ほど芽の出掛かった椰子の実の落ちているのを蹴飛ばすと、水の中にころげ入ってボチャンと音を立てる。
 そういえば、昨夜、奇妙なことがあった。島民家屋の丸竹を並べた床《ゆか》の上に、薄いタコ[#「タコ」に傍点]の葉の呉蓙《ござ》を一枚敷いて寝ていた時、私は、突然、何の連絡も無く、東京の歌舞伎座の、(それも舞台ではなく)みやげもの[#「みやげもの」に傍点]屋(あられ[#「あられ」に傍点]や飴《あめ》や似顔絵やブロマイドなどを売る)の明るい華美な店先と、その前を行き交う着飾った人波とを思出したのだ。役者の家の紋を散らした派手な箱や缶や手拭や、俳優の似顔の目の隈取《くまど》りや、それを照らす白い強い電燈の光や、それに見入る娘たちや雛妓《すうぎ》らの様子までもはっきり[#「はっきり」に傍点]、彼女らの髪油の匂までもありあり[#「ありあり」に傍点]と、浮かんで来た。私は、歌舞伎劇そのものも余り好きではない。みやげもの屋などに何の興味も無いはずである。何故、こんな意味も内容も無い東京生活の薄っぺらな一断面が、太平洋の濤に囲まれた小さな島の・椰子の葉で葺《ふ》いた土民小舎の中で、家の周囲《まわり》にズシンと落ちる椰子の実の音を聞いている時に、突然思出されたものか。私には皆目《かいもく》判らぬ。とにかく、私の中には色んな奇妙な奴らがゴチャゴチャと雑居しているらしい。浅間しい、唾棄《だき》すべき奴までが。

 海岸のタマナ並木の蔭のはずれまで来た時、向うから陽に灼《や》けた砂の上を素裸の小さい男の子が駈けて来た。私の前まで来ると、立止ってキチンと足を揃え、頭が膝《ひざ》の所まで来るほどの丁寧なお辞儀をしてから、食事の用意が出来たことを告げた。私の泊っている島民の家の児で、今年|
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