ヘ日本語で礼を言って、表へ出た。
 浜へ出ると、遥か向うに、私の乗って来た――そうして、ここ数時間の中にはまた乗って立去る――小汽船の燈火が、暗い海に其処《そこ》だけ明るく浮上っていた。ちょうど側を通りかかった島民の男を呼びとめ、カヌーを漕がせて、船に帰った。

 汽船《ふね》はこの島を夜半に発《た》つ。それまで汐を待つのである。
 私は甲板に出て欄干《てすり》に凭《よ》った。島の方角を見ると、闇の中に、ずっと低い所で、五つ六つの灯が微かにちらついて見える。空を仰いだ。檣《ほばしら》や索綱《つな》の黒い影の上に遥か高く、南国の星座が美しく燃えていた。ふと、古代|希臘《ギリシャ》の或る神秘家の言った「天体の妙《たえ》なる諧音」のことが頭に浮かんだ。賢いその古代人はこう説いたのである。我々を取巻く天体の無数の星どもは常に巨大な音響――それも、調和的な宇宙の構成にふさわしい極めて調和的な壮大な諧音――を立てて廻転しつつあるのだが、地上の我々は太初よりそれに慣れ、それの聞えない世界は経験できないので、竟《つい》にその妙なる宇宙の大合唱を意識しないでいるのだ、と。先刻《さっき》夕方の浜辺で島民ど
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