сV》の実が落ち、或るものは腐り、或るものは三尺も芽を出している。道傍《みちばた》の水溜には鰕《えび》の泳いでいるのが見える。
ミクロネシヤにはもう一つ、ポナペ島にこれと同様な(更に大規模な)遺址《いし》があるが、共にこれを築いた人間も年代も判っていない。とにかく、その構築者が現住民族とは何の関係も無いものだということだけは通説となっているようだ。この石塁については何らまとまった伝説が無い上に、現住民族は石造建築について何等の興味も知識も持たぬのだし、またこれら巨大な岩石を何処《いずこ》よりか(この島にこういう石は無い)海上遠く持ち運ぶなどという技術は、彼らよりも遥かに比較を絶して高級な文明を有《も》つ人種でなければ不可能だからである。そういう文明をもった先住民族が何時《いつ》頃栄え、いつ頃亡び去ったか。或る人類学者は渺茫《びょうぼう》たる太平洋上に点在するこれらの遺址(ミクロネシヤのみならずポリネシヤにも相当に存在する。イースター島の如きは最も有名だが)を比較研究した後、遥かなる過去の一時期に西は埃及《エジプト》から東は米大陸に至るまでの広汎《こうはん》な地域を蔽うた共通の「古代文
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