bと笑ったが、別に話しにも来ない。てれ隠し[#「てれ隠し」に傍点]のようにわざと大きな掛声を「ヨイショ」と掛けて、大籠を頭上に載せ、そのままさよなら[#「さよなら」に傍点]も言わずに向うへ行ってしまった。

 去年の大晦日《おおみそか》の晩、それは白々とした良い月夜だったが、私たちは――H氏と私とマリヤンとは、涼しい夜風に肌をさらしながら街を歩いた。夜半までそうして時を過ごし、十二時になると同時に南洋神社に初詣でをしようというのである。私たちはコロール波止場の方へ歩いて行った。波止場の先にプールが出来ているのだが、そのプールの縁に我々は腰を下した。
 相当な年輩のくせにひどく歌の好きなH氏が大声を上げて、色んな歌を――主に氏の得意な様々のオペラの中の一節だったが――唱った。マリヤンは口笛ばかり吹いていた。厚い大きな唇を丸くとんがらせて吹くのである。彼女のは、そんなむずかしいオペラなんぞではなく、大抵フォスターの甘い曲ばかりである。聞きながら、ふと、私は、それらが元々北米の黒人どもの哀しい歌だったことを憶い出した。
 何のきっかけ[#「きっかけ」に傍点]からだったか、突然、H氏がマリヤン
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