ヲ」とH氏がマリヤンの方を見て笑いながら言った。マリヤンはちょっとてれた[#「てれた」に傍点]ように厚い脣《くちびる》を綻《ほころ》ばせたが、別にH氏の言葉を打消しもしない。
 あとでH氏に聞くと、東京の何処とかの女学校に二、三年(卒業はしなかったらしいが)いたことがあるのだそうだ。「そうでなくても、英語だけはおやじ[#「おやじ」に傍点]に教わっていたから、出来るんですよ」とH氏は附加えた。「おやじ[#「おやじ」に傍点]といっても、養父ですがね。そら、あの、ウィリアム・ギボンがあれの養父になっているのですよ。」ギボンといわれても、私にはあの浩瀚《こうかん》なローマ衰亡史の著者しか思い当らないのだが、よく聞くと、パラオでは相当に名の聞えたインテリ混血児(英人と土民との)で、独領時代に民俗学者クレエマア教授が調査に来ていた間も、ずっと通訳として使われていた男だという。尤《もっと》も、独逸《ドイツ》語ができた訳ではなく、クレエマア氏との間も英語で用を足していたのだそうだが、そういう男の養女であって見れば、英語が出来るのも当然である。
 私の変屈な性質のせい[#「せい」に傍点]か、パラオの役所
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