Aといった誰かの言葉を思い出した。ものが亡びる時は、こんなものなのかと思った。科学者たちはその滅亡の跡を見て数々の原因を指摘しては得々《とくとく》としているが、その原因と称する所のものは、何ぞ図らん、原因ではなくて結果に過ぎないことが多いのである。
秋の終りの最後の薔薇《ばら》に、思いがけなく大輪の花が咲くことがあるように、この島の最後の娘もあるいは素晴らしく美しく怜悧《れいり》な子(もちろん島民の標準においてではあるが)ではあるまいかと、甚《はなは》だ浪漫的な空想を抱いて、私はその女の児を見に行った。そして、すっかり失望した。肥ってこそいたが、うす汚い、愚かしい顔付の、平凡な島民の子である。鈍い目に微《かす》かに好奇心と怯《おび》えとを見せて、この島には珍しい内地人たる私の姿に見入っていた。まだ黥《いれずみ》はしていない。大切にされているとは言っても、フランペシヤだけは出来ると見える。腕や脚一面に糜爛《びらん》した腫物《はれもの》がはびこっていた。自然は私ほどにロマンティストではないらしい。
夕方、私は独り渚《なぎさ》を歩いた。頭上には亭々たる椰子樹が大きく葉扇を動かしながら、太
前へ
次へ
全83ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング