ノ当然戦場として選ばれるだろうことを予想しての冒険への期待だったのではないか。」
そうだ。たしかに。それだのに、その新しい・きびしいものへの翹望《ぎょうぼう》は、いつか快い海軟風《かいなんぷう》の中へと融け去って、今はただ夢のような安逸と怠惰とだけが、懶《ものう》く怡《たの》しく何の悔も無く、私を取り囲んでいる。
「何の悔も無く? 果して、本当に、そうか?」と、また先刻の私の中の意地の悪い奴が聞く。「怠惰でも無為でも構わない。本当にお前が何の悔も無く[#「何の悔も無く」に傍点]あるならば。人工の・欧羅巴《ヨーロッパ》の・近代の・亡霊から完全に解放されているならばだ。ところが、実際は、何時《いつ》何処《どこ》にいたってお前はお前なのだ。銀杏の葉の散る神宮外苑をうそ[#「うそ」に傍点]寒く歩いていた時も、島民どもと石焼のパンの実《み》にむしゃぶりついている時も、お前はいつもお前だ。少しも変りはせぬ。ただ、陽光と熱風とが一時的な厚い面被《ヴェイル》をちょっとお前の意識の上にかぶせているだけだ。お前は今、輝く海と空とを眺めていると思っている。あるいは島民と同じ目で眺めていると自惚《うぬぼ》れ
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