ハ。最初の者が苦しみを嘗《な》めたように、最後の者もまたどんなにか苦しみを嘗めねばならぬであろう。そう呟《つぶや》きながら、黥《いれずみ》をした老爺や老婆たちが、哀しげに虔《つつし》み深く、赤ん坊を礼拝したという。但し、それは老人だけの話で、若い者は、何年にも見たことのない人間の赤ん坊というものが珍しさに、ワイワイ騒ぎながら見物に来たと聞いている。ちょうど女の児が生れる二年前に、戸口調査があり、その時の記録には人口三百と記されているのに、今ではもう百七、八十しか無い。こんな速やかな減少率があろうか。死ぬ者ばかりで生れる者が皆無だと、別に疫病に見舞われた訳でなくとも、こんなに速く減るものだろうか。当時女の赤ん坊を拝んだ老人たちはもはや一人残らず死んでしまっているに違いない。それでも、老人たちの残した訓《おし》えは固く守られていると見えて、今でも、この島の最後の者たるべき女の児は、喇嘛《ラマ》の活仏《いきぼとけ》のように大事にされている。成人《おとな》ばかりの間にたった一人の子供では、可愛がられるのが当り前のようだが、この場合は、それに多分の原始宗教的な畏怖《いふ》と哀感とが加わっているの
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