「る。有難いなと思って、急に真黒になった空を見上げている中に、猛烈なスコールがやって来た。屋根を叩き、敷石を叩き、椰子の葉を叩き、夾竹桃の花を叩き落して、すさまじい音を立てながら、雨は大地を洗う。人も獣も草木もやっと[#「やっと」に傍点]蘇った。遠くから新しい土の香が匂って来る。太い白い雨脚を見ながら、私は、昔の支那《シナ》人の使った銀竹[#「銀竹」に傍点]という言葉を爽かに思い浮かべていた。
雨が霽《あが》ってからしばらくして表へ出て見たら、まだ濡れている敷石路を、向うから先刻の夾竹桃の家の女が歩いて来た。家に寝かし付けて来たのか、赤ん坊は抱いていない。私と擦れ違ったが、視線を向けもしなかった。怒っている顔付ではなく、全然私を認めないような、澄ました無表情な顔であった。
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ナポレオン
「ナポレオンを召捕りに行くのですよ」と若い警官が私に言った。パラオ南方離島通いの小汽船、国光丸の甲板の上である。
「ナポレオン?」
「ええ、ナポレオンですよ」と若い警察官は私の驚きを期待していたように笑いながら言った。「ナポレオンといっても、島民ですがね。島民の子供の名前で
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