フ凝視の意味だけはこの上なくハッキリ判った。女の浅黒い顔に、ほのかに血の色が上って来たのを私は見た。かなり朦朧《もうろう》とした頭の何処かで、次第に増して来る危険感を意識してはいたのだが、もちろんそれを嗤《わら》う気持の方に自信をもっていたのである。その中に、しかし、私は妙に縛られて行くような自分を感じ始めた。
全く莫迦莫迦《ばかばか》しい話だが、その時の泥酔したような変な気持を後《あと》で考えて見ると、どうやら私はちょっと熱帯の魔術にかかっていたようである。その危険から救ってくれたものは、病後の身体の衰弱であった。私は縁に足を垂れて腰掛けていたので、女の方を見るためには、身体を捩《ねじ》って斜め後《うしろ》を向かねばならない。この姿勢がひどく私を疲れさせた。しばらくする中に、横腹と頸《くび》の筋がひどく痛くなって来て、思わず、姿勢を元に戻すと、視線を表の景色に向けた。何故か、深い溜息がホーッと腹の底から出た。途端に呪縛《じゅばく》が解けたのである。
一瞬前の己の状態を考えて、私は覚えず苦笑した。縁から腰を上げて立上ると、その苦笑を浮かべた顔で、家の中の女にサヨナラと日本語で言った
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