ウい。だが、マリヤンの実母というのが、コロールの第一長老家イデイズ家の出なのだ。つまり、マリヤンはコロール島第一の名家に属するのである。彼女が今でもコロール島民女子青年団長をしているのは、彼女の才気の外に、この家柄にも依《よ》るのだ。マリヤンの夫だった男は、パラオ本島オギワル村の者だが、(パラオでは女系制度ではあるが、結婚している間は、やはり、妻が夫の家に赴いて住む。夫が死ねば子供らをみんな引連れて実家に帰ってしまうけれども)こうした家格の関係もあり、また、マリヤンが田舎住いを厭うので、やや変則的ではあるが、夫の方がマリヤンの家に来て住んでいた。それをマリヤンが追出したのである。体格からいっても男の方が敵《かな》わなかったのかも知れぬ。しかし、その後、追出された男がしばしばマリヤンの家に来て、慰藉料《ツガキーレン》などを持出しては復縁を嘆願するので、一度だけその願を容れて、また同棲したのだそうだが、嫉妬男《やきもちおとこ》の本性は依然直らず(というよりも、実際は、マリヤンと男との頭脳の程度の相違が何よりの原因らしく)再び別れたのだという。そうして、それ以来、独りでいる訳である。家柄の関係で、(パラオでは特にこれがやかましい)滅多な者を迎えることも出来ず、また、マリヤンが開化し過ぎているために大抵の島民の男では相手にならず、結局、もうマリヤンは結婚できないのじゃないかな、と、H氏は言っていた。そういえば、マリヤンの友達は、どうも日本人ばかりのようだ。夕方など、いつも内地人の商人の細君連の縁台などに割込んで話している。それも、どうやら、大抵の場合マリヤンがその雑談の牛耳を執っているらしいのである。
私はマリヤンの盛装した姿を見たことがある。真白な洋装にハイ・ヒールを穿《は》き、短い洋傘を手にしたいでたち[#「いでたち」に傍点]である。彼女の顔色は例によって生々《いきいき》と、あるいはテラテラと茶褐色にあくまで光り輝き、短い袖からは鬼をもひしぎそうな赤銅色の太い腕が逞《たくま》しく出ており、円柱の如き脚の下で、靴の細く高い踵《かかと》が折れそうに見えた。貧弱な体躯を有った者の・体格的優越者に対する偏見を力《つと》めて排しようとはしながらも、私は何かしら可笑《おか》しさがこみ上げて来るのを禁じ得なかった。が、それと同時に、いつか彼女の部屋で『英詩選釈』を発見した時のようないたましさ[#「いたましさ」に傍点]を再び感じたことも事実である。但し、この場合もまた、そのいたましさ[#「いたましさ」に傍点]が、純白のドレスに対してやら、それを着けた当人に対してやら、はっきりしなかったのだが。
彼女の盛装姿を見てから二、三日後のこと、私が宿舎の部屋で本を読んでいると、外で、聞いたことのあるような口笛の音がする。窓から覗くと、すぐ傍《そば》のバナナ畑の下草をマリヤンが刈取っているのだ。島民女に時々課せられるこの町の勤労奉仕に違いない。マリヤンの外にも、七、八人の島民女が鎌を手にして草の間にかがんでいる。口笛は別に私を呼んだのではないらしい。(マリヤンはH氏の部屋にはいつも行くが、私の部屋は知らないはずである。)マリヤンは私に見られていることも知らずにせっせ[#「せっせ」に傍点]と刈っている。この間の盛装に比べて今日はまたひどいなりをしている。色の褪《あ》せた、野良仕事用のアッパッパに、島民並の跣足《はだし》である。口笛は、働きながら、時々自分でも気が付かずに吹いているらしい。側の大籠に一杯刈り溜めると、かがめていた腰を伸ばして、此方に顔を向けた。私を認めるとニッと笑ったが、別に話しにも来ない。てれ隠し[#「てれ隠し」に傍点]のようにわざと大きな掛声を「ヨイショ」と掛けて、大籠を頭上に載せ、そのままさよなら[#「さよなら」に傍点]も言わずに向うへ行ってしまった。
去年の大晦日《おおみそか》の晩、それは白々とした良い月夜だったが、私たちは――H氏と私とマリヤンとは、涼しい夜風に肌をさらしながら街を歩いた。夜半までそうして時を過ごし、十二時になると同時に南洋神社に初詣でをしようというのである。私たちはコロール波止場の方へ歩いて行った。波止場の先にプールが出来ているのだが、そのプールの縁に我々は腰を下した。
相当な年輩のくせにひどく歌の好きなH氏が大声を上げて、色んな歌を――主に氏の得意な様々のオペラの中の一節だったが――唱った。マリヤンは口笛ばかり吹いていた。厚い大きな唇を丸くとんがらせて吹くのである。彼女のは、そんなむずかしいオペラなんぞではなく、大抵フォスターの甘い曲ばかりである。聞きながら、ふと、私は、それらが元々北米の黒人どもの哀しい歌だったことを憶い出した。
何のきっかけ[#「きっかけ」に傍点]からだったか、突然、H氏がマリヤン
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