ネ芸的な所も見せる。撃剣の竹刀《しない》の撃合《うちあ》うような音と、威勢のいい掛声とが入り交って、如何《いか》にも爽やかな感じである。
北西離島のものは、皆、仏桑華《ぶっそうげ》や印度素馨《インドそけい》の花輪を頭に付け、額と頬に朱黄色の顔料《タイク》を塗り、手頸足頸腕などに椰子《ヤシ》の若芽を捲《ま》き付け、同じく椰子の若芽で作った腰簑《こしみの》を揺すぶりながら踊るのである。中には耳朶《みみたぶ》に孔《あな》を穿《うが》ち、そこへ仏桑華の花を挿した者もある。右手の甲に、椰子若芽を十字形に組合せたものを軽く結び付け、最初、各人が指を細かく顫《ふる》わせて、これを動かす。すると、たちまち遠くの風のざわめきのような微妙な音が起る。これが合図で踊が始まる。そうして、掌で以て胸や腕のあたりを叩いてパンパンという烈しい音を立て、腰をひねり奇声を発しつつ、多分に性的な身振を交えて踊り狂うのである。
歌の中でも、踊を伴わないものは、全部といって良い位、憂鬱《ゆううつ》な旋律ばかりであった。その題名にも、すこぶるおかしなものが多い。その一例。シュック島の歌。「他人《ひと》の妻のことを思わず、己《おの》が妻のことを考えましょう。」
夏島の街で見た或る離島人の耳。幼時から耳朶を伸ばし伸ばしした結果らしく、一尺五寸ばかりも紐《ひも》のように長く伸びている。それを、鎖でも捲くように、耳殻《じかく》に三廻《みまわり》ほど巻いて引掛けている。そういう耳をしたのが四人並んで、すまして洋品店の飾窓を覗いていた。
その離島へ行ったことのある某氏に聞くと、彼らは普通の耳をもった人間を見ると嗤《わら》うそうである。顎《あご》の無い人間でも見たかのように。
また、こういう島々に永くいると、美の規準について、多分に懐疑的になるそうだ。ヴォルテエル曰く、「蟾蜍《ひきがえる》に向って、美とは何ぞやと尋ねて見よ。蟾蜍は答えるに違いない。美とは、小さい頭から突出《つきで》た大きな二つの団栗眼《どんぐりまなこ》と、広い平べったい口と、黄色い腹と褐色の背中とを有《も》つ雌蟾蜍の謂《いい》だと。」云々《うんぬん》。
※[#ローマ数字5、1−13−25]
[#地から5字上げ]ロタ
断崖の白い・水の豊かな・非常に蝶の多い島。静かな昼間、人のいない官舎の裏に南瓜《カボチャ》の蔓《つる》が伸
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