ム、その黄色い花に、天鵞絨《ビロード》めいた濃紺色の蝶々どもが群がっている。

 島民の姿の見えないソンソンの夜の通りは、内地の田舎町のような感じだ。電燈の暗い床屋の店。何処からか聞えて来る蓄音機の浪花節《なにわぶし》。わびしげな活動小屋に「黒田誠忠録」がかかっている。切符売の女の窶《やつ》れた顔。小舎の前にしゃがんでトーキイの音だけ聞いている男二人。幟《のぼり》が二本、夜の海風にはためいている。

 タタッチョ部落の入口、海から三十間と離れない所に、チャモロ族の墓地がある。十字架の群の中に、一基の石碑が目につく。バルトロメス・庄司光延之墓と刻まれ、裏には昭和十四年歿九歳とあった。日本人にして加特力《カトリック》教徒だった者の子供なのであろう。周囲の十字架に掛けられた花輪どもはことごとく褐色に枯れ凋《しぼ》み、海風にざわめく枯|椰子《ヤシ》の葉のそよぎも哀しい。(ロタ島の椰子樹は最近虫害のためにほとんど皆枯れてしまった。)目に沁みるばかり鮮やかな海の青を近くに見、濤《なみ》の音の古い嘆きを聞いている中に、私は、ひょいと能の「隅田川」を思い浮かべた。母なる狂女に呼ばれて幼い死児の亡霊が塚の後からチョコチョコ白い姿を現すが、母がとらえようとすると、またフッと隠れてしまうあの場面を。
 あとで公学校の島民教員補に聞くと、この子の両親(経師屋《きょうじや》だったそうだ)は子供に死なれてから間もなくこの地を立去ったということである。

 宿舎としてあてがわれた家の入口に、珍しく茘枝《れいし》の蔓がからみ実が熟してはぜて[#「はぜて」に傍点]いる。裏にはレモンの花が匂う。門外橘花猶的※[#「白+樂」、第3水準1−88−69]、牆頭茘子已※[#「文+瀾のつくり」、248−7]斑、というのは蘇東坡《そとうば》(彼は南方へ流された)だが、ちょうどそっくりそのままの情景である。但し、昔の支那《シナ》人のいう茘枝と我々の呼ぶ茘枝と、同じものかどうか、それは知らない。そういえば、南洋到る所にある・赤や黄の鮮やかなヒビスカスは、一般に仏桑華《ぶっそうげ》といわれているが、王漁洋の「広州竹枝」に、仏桑華下小廻廊云々とある、それと同じものかどうか。広東《カントン》あたりなら、この派手な花も大いにふさわしそうな気がするが。


       ※[#ローマ数字6、1−13−26]
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