tに似た麺麭の葉を漏斗《じょうご》代りに其処《そこ》へ突込み、上からコプラの白い汁を絞って流し込んでいた。こうして石焼にすると、全体に甘味が浸みこんでいて大変旨いのだそうである。
支庁の人の案内でマーシャルきっての大酋長カブアを訪ねた。カブア家はヤルートとアイリンラプラプとの両地方に跨《また》がる古い豪家で、マーシャル古譚詩の中にはしばしば出て来る名前だそうである。
瀟洒《しょうしゃ》たるバンガロー風の家だ。入口に、八島嘉坊と漢字で書いた表札が掛かっていて、ヤシマカブアと振り仮名が附けてある。この地方の風と見えて、廚房《ちゅうぼう》だけは別棟になっているが、それが四面皆|竪格子《たてごうし》で囲んだ妙な作りである。
初め主人が不在とて、若い女が二人出て来て接待した。一見日本人との混血と分る顔立だが、二人とも内地人の標準から見ても確かに美人である。二人が姉妹だということもすぐに判った。姉の方がカブアの細君なのだという。
程なく主人のカブアが呼ばれて帰って来た。色は黒いがちょっとインテリ風の・三十前後の青年で、何処か絶えずおどおどしているような所が見える。日本語は此方の言葉が辛うじて理解できる程度らしく、自分からは何一つ言出さずに、ただ此方の言うことに一々大人しく相槌《あいづち》を打つだけである。これが年収五万ないし七万に上るという(椰子の密生した島を有《も》っているというだけで、コプラ採取による収入が年にその位あるのだ)大酋長とはちょっと思われなかった。椰子水とサイダーと蛸樹の果《み》とをよばれて、ほとんど話らしい話もせずに(何しろ向うは何一つしゃべらないのだから)家を辞した。
帰途、案内の支庁の人に聞く所によれば、カブア青年は最近(私が先刻見た)妻の妹に赤ん坊を生ませて大騒ぎを引起したばかりだとのことである。
早朝、深く水を湛えた或る巌蔭で、私は、世にも鮮やかな景観《ながめ》を見た。水が澄明で、群魚游泳の状《さま》の手に取る如く見えるのは、南洋の海では別に珍しいことはないのだが、この時ほど、万華鏡のような華やかさに打たれたことは無い。黒鯛《くろだい》ほどの大きさで、太く鮮やかな数本の竪縞《たてじま》を有った魚が一番多く、岩蔭の孔《あな》らしい所から頻《しき》りに出没するのを見れば、此処が彼らの巣なのかも知れない。この外に、透きとおらんばかりの淡い色を
前へ
次へ
全42ページ中33ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング