オた・鮎《あゆ》に似た細長い魚や、濃緑色のリーフ魚や、ひらめ[#「ひらめ」に傍点]の如き巾《はば》の広い黒いやつ[#「やつ」に傍点]や、淡水産のエンジェル・フィッシュそっくりの派手な小魚や、全体が刷毛《はけ》の一刷《ひとはき》のようにほとんど鰭《ひれ》と尾ばかりに見える褐色の小怪魚、鰺《あじ》に似たもの、鰯《いわし》に似たもの、更に水底を匍《は》う鼠《ねずみ》色の太い海蛇に至るまで、それら目も絢《あや》な熱帯の色彩をした生物どもが、透明な薄|翡翠《ひすい》色の夢のような世界の中で、細鱗を閃《ひらめ》かせつつ無心に游優嬉戯しているのである。殊に驚くべきは、碧《あお》い珊瑚礁《リーフ》魚よりも更に幾倍か碧い・想像し得る限りの最も明るい瑠璃《るり》色をした・長さ二寸ばかりの小魚の群であった。ちょうど朝日の射して来た水の中に彼らの群がヒラヒラと揺れ動けば、その鮮やかな瑠璃色は、たちまちにして濃紺となり、紫藍となり、緑金となり、玉虫色と輝いて、全く目も眩《くら》むばかり。こうした珍魚どもが、種類にして二十、数にしては千をも超えたであろう。
 一時間余りというもの、私はただ呆れて、茫然と見惚《みと》れていた。
 内地へ帰ってからも、私はこの瑠璃と金色の夢のような眺めのことを誰にも話さない。私が熱心を以て詳しく話せば話すほど、恐らく私は「|百万のマルコ《マルコ・ミリオネ》」と嗤《わら》われた昔の東邦旅行者の口惜しさを味わわねばならぬだろうし、また、自分の言葉の描写力が実際の美の十分の一をも伝え得ないことが自ら腹立たしく思われるであろうからでもある。

 ヘルメット帽は、委任統治領では官吏だけのかぶるものになっているらしい。不思議に会社関係の人はこれを用いないようである。
 ところで、私は、余り上等でないパナマ帽をかぶって群島中を歩いた。道で出会う島民は誰一人頭を下げない。私を案内してくれる役所の人がヘルメットをかぶって道を行くと、島民どもは鞠躬如《きっきゅうじょ》として道を譲り、恭《うやうや》しく頭を下げる。夏島でも秋島でも水曜島でもポナペでも、何処ででもみんなそうであった。
 ジャボールを立つ前の日、M技師と私は、土産物の島民の編物を漁《あさ》るために、低い島民の家々を――もっと正確にいえば、家々の縁の下を覗き歩いた。前にちょっと言ったが、ヤルートでは、家々の縁の下に筵を敷いて
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