にプールが出來てゐるのだが、其のプールの縁に我々は腰を下した。
相當な年輩のくせにひどく歌の好きなH氏が大聲を上げて、色んな歌を――主に氏の得意な樣々のオペラの中の一節だつたが――唱つた。マリヤンは口笛ばかり吹いてゐた。厚い大きな脣を丸くとんがらせて吹くのである。彼女のは、そんなむづかしいオペラなんぞではなく、大抵フォスターの甘い曲ばかりである。聞きながら、ふと、私は、其等が元々北米の黒人共の哀しい歌だつたことを憶ひ出した。
何のきつかけ[#「きつかけ」に傍点]からだつたか、突然、H氏がマリヤンに言つた。
「マリヤン! マリヤン!(氏がいやに大きな聲を出したのは、家を出る時一寸引掛けて來た合成酒のせゐに違ひない)マリヤンが今度お婿さんを貰ふんだつたら、内地の人でなきや駄目だなあ。え? マリヤン!」
「フン」と厚い脣の端を一寸ゆがめたきり、マリヤンは返辭をしないで、プールの面を眺めてゐた。月は丁度中天に近く、從つて海は退潮なので、海と通じてゐる此のプールは殆ど底の石が現れさうな程水がなくなつてゐる。暫くして、私が先刻のH氏の話のつづきを忘れて了つた頃、マリヤンが口を切つた。
「でもね
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