ものだ。現實を恐れぬ者は、借り物でない・己の目でハツキリ視る者は、何時どのやうな環境にゐても健康なのだ。所が、お前の中にゐる『古代支那の衣冠を着けたいかさま[#「いかさま」に傍点]君子』や『ヴォルテエル面《づら》をした狡さうな道化』と來たら、どうだ。先生達、今こそ南洋の暑氣に醉つぱらつてよろめいてゐるらしいが、醒めてゐる時の慘めさを思へば、まだしも、醉つてゐる時の方が、まし[#「まし」に傍点]の樣だな。……」

 見慣れぬ殼をかぶつたちつぽけ[#「ちつぽけ」に傍点]な宿借《やどかり》が三つ四つ私の足許近く迄やつて來たが、人の氣配を感じて立止り、一寸樣子を窺つてから、慌てて又逃げて行つた。
 村は今晝寢の時刻らしい。誰一人濱を通らぬ。海も――少くとも堡礁の内側の水だけは――トロリと翡翠色にまどろんでゐるやうだ。時々キラリと眩しく陽を照返すだけで。たまに鯔《ぼら》らしいのが水の上に跳ねるのを見れば、魚類だけは目覺めてゐるらしい。明るい靜かな・華やかな海と空だ。今、此の海の何處かで、半身《はんしん》を生温《なまぬる》い水の上に乘出したトリイトンが嚠喨と貝殼を吹いてゐる。何處か、此の晴れ渡つた
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