易い石疊路が紆餘曲折して續く。室の跡らしいもの、井戸の形をしたものなどが、密生した羊齒類の間に見え隱れする。壘壁の崩れか、所々に※[#「「壘」の「土」に代えて「糸」」、第3水準1−90−24]々たる石塊の山が積まれてゐる。到る所に椰子の實が落ち、或るものは腐り、或るものは三尺も芽を出してゐる。道傍の水溜には鰕の泳いでゐるのが見える。
ミクロネシヤにはもう一つ、ポナペ島に之と同樣な(更に大規模な)遺址があるが、共に之を築いた人間も年代も判つてゐない。とにかく、その構築者が現住民族とは何の關係も無いものだといふことだけは通説となつてゐるやうだ。此の石壘に就いては何等まとまつた傳説が無い上に、現住民族は石造建築について何等の興味も知識も持たぬのだし、又之等巨大な岩石を何處《いづこ》よりか(此の島に斯ういふ石は無い)海上遠く持ち運ぶなどといふ技術は、彼等よりも遙かに比較を絶して高級な文明を有つ人種でなければ不可能だからである。さういふ文明をもつた先住民族が何時頃榮え、何時頃亡び去つたか。或る人類學者は渺茫たる太平洋上に點在する之等の遺址(ミクロネシヤのみならずポリネシヤにも相當に存在する。イースター島の如きは最も有名だが)を比較研究した後、遙かなる過去の一時期に西は埃及から東は米大陸に至る迄の廣汎な地域を蔽うた共通の「古代文明の存在」を假定する。さうして、其の文明の特徴として、太陽崇拜、構築の爲の巨石使用、農耕灌漑その他を擧げる。斯うした壯大な假説は、私に、大變樂しい空想の翼を與へる。私は、太古埃及から東漸した高度の文明を身につけた・勇敢な古代人の群を想像することが出來る。彼等は、眞珠や黒耀石を追ひ求めては、果てしない太平洋の眞蒼な潮の上を、眞紅な帆でも掛けて、恐らくは葦の莖の海圖を使用しながら、或ひは、今でも我々の仰ぐオリオン星やシリウス星を頼りに、東へ東へと渡つて行つたに違ひない。さうして、愚昧な原住民の驚嘆を前に、到る處に小ピラミッドやドルメンや環状石籬を築き、瘴※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]な自然の中に己が強い意志と慾望との印を打建てたのであらう。……勿論、この假説の當否は、門外漢たる私に判る譯が無い。たゞ私は今、眼前に、炎熱と颱風と地震との幾世紀の後、尚熱帶植物の繁茂の下に埋め盡されもせずに其の謎の樣な存在を主張してゐる巨石の堆積を見、又一方、巨石の運搬どころか極く簡單な農耕技術さへ知らぬ・低級な現住民の存在を知つてゐるだけである。
巨大な榕樹が二本、頭上を蔽ひ、その枝といはず幹といはず、蔦葛の類が一面にぶらさがつてゐる。
蜥蜴が時々石垣の蔭から出て來ては、私の樣子を窺ふ。ゴトリと足許の石が動いたのでギヨツとすると、その蔭から、甲羅のさしわたし[#「さしわたし」に傍点]一尺位の大蟹が匍ひ出した。私の存在に氣が付くと、大急ぎで榕樹の根本の洞穴に逃げ入つた。
近くの・名も判らない・低い木に、燕の倍ぐらゐある眞黒な鳥がとまつて、茱萸《ぐみ》のやうな紫色の果を啄んでゐる。私を見ても逃げようとしない。葉洩陽《はもれび》が石垣の上に點々と落ちて、四邊《あたり》は恐ろしく靜かである。
私の其の日の日記を見ると、斯う書いてある。「忽ち鳥の奇聲を聞く。再び闃《げき》として聲無し。熱帶の白晝、却つて妖氣あり。佇立久しうして覺えず肌に粟を生ず。その故を知らず」云々。
船に歸つてから聞いた所によると、クサイの人間は鼠を喰ふといふことである。
※[#ローマ数字2、1−13−22]
[#地から5字上げ]ヤルート
とろりと白い脂を流したやうな朝凪の海の彼方、水平線上に一本の線が横たはる。之がヤルート環礁の最初の瞥見である。
やがて、船が近づくにつれて、帶と見えた一線の上に、先づ椰子樹が、次いで家々や倉庫などが見分けられて來る。赤い屋根の家々や白く光る壁や、果ては眞白な濱邊を船の出迎へにと出てくる人々の小さな姿までが。
全くジャボールは小綺麗な島だ。砂の上に椰子と蛸樹《たこのき》と家々とを程良くあしらつた小さな箱庭のやうな。
海岸を歩くと、ミレ村共同宿泊所、エボン村共同宿泊所等と書かれた家屋があり、其の傍で各島民が炊事をしてゐる。此處は全マーシャル群島の中心地とて遠い島々の住民が隨時集まつてくるので、其等の爲に各島でそれ/″\共同宿泊所を設けてゐる譯だ。
マーシャルの島民は、殊に其の女は、非常にお洒落である。日曜の朝は、てんでに色鮮かに着飾つて教會へと出掛ける。それも、恐らくは前世紀末に宣教師や尼さんが傳へたに違ひない・舊式の・頗る襞の多いスカートの長い・贅澤な洋裝である。傍から見てゐても隨分暑さうに思はれる。男でも日曜は新しい青いワイシャツの胸に眞白な手巾を覗かせてゐる。教會は彼等にとつて誠に
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