私はマリヤンの盛裝した姿を見たことがある。眞白な洋裝にハイ・ヒールを穿き、短い洋傘を手にしたいでたち[#「いでたち」に傍点]である。彼女の顏色は例によつて生々《いきいき》と、或ひはテラ/\と茶褐色に飽く迄光り輝き、短い袖からは鬼をもひしぎさうな赤銅色の太い腕が逞しく出てをり、圓柱の如き脚の下で、靴の細く高い踵が折れさうに見えた。貧弱な體躯を有つた者の・體格的優越者に對する偏見を力めて排しようとはしながらも、私は何かしら可笑しさがこみ上げて來るのを禁じ得なかつた。が、それと同時に、何時か彼女の部屋で「英詩選釋」を發見した時のやうないたましさ[#「いたましさ」に傍点]を再び感じたことも事實である。但し、此の場合も亦、其のいたましさ[#「いたましさ」に傍点]が、純白のドレスに對してやら、それを着けた當人に對してやら、はつきりしなかつたのだが。
彼女の盛裝姿を見てから二三日後のこと、私が宿舍の部屋で本を讀んでゐると、外で、聞いたことのあるやうな口笛の音がする。窓から覗くと、直ぐ傍《そば》のバナナ畑の下草をマリヤンが刈取つてゐるのだ。島民女に時々課せられる此の町の勤勞奉仕に違ひない。マリヤンの外にも、七八人の島民女が鎌を手にして草の間にかがんでゐる。口笛は別に私を呼んだのではないらしい。(マリヤンはH氏の部屋には何時も行くが、私の部屋は知らない筈である。)マリヤンは私に見られてゐることも知らずにせつせ[#「せつせ」に傍点]と刈つてゐる。此の間の盛裝に比べて今日は又ひどいなりをしてゐる。色の褪せた、野良仕事用のアツパツパに、島民竝の跣足《はだし》である。口笛は、働きながら、時々自分でも氣が付かずに吹いてゐるらしい。側の大籠に一杯刈り溜めると、かがめてゐた腰を伸ばして、此方に顏を向けた。私を認めるとニツと笑つたが、別に話しにも來ない。てれ隱し[#「てれ隱し」に傍点]の樣にわざと大きな掛聲を「ヨイシヨ」と掛けて、大籠を頭上に載せ、その儘さよなら[#「さよなら」に傍点]も言はずに向ふへ行つて了つた。
去年の大晦日《おほみそか》の晩、それは白々とした良い月夜だつたが、私達は――H氏と私とマリヤンとは、涼しい夜風に肌をさらしながら街を歩いた。夜半迄さうして時を過ごし、十二時になると同時に南洋神社に初詣でをしようといふのである。私達はコロール波止場の方へ歩いて行つた。波止場の先にプールが出來てゐるのだが、其のプールの縁に我々は腰を下した。
相當な年輩のくせにひどく歌の好きなH氏が大聲を上げて、色んな歌を――主に氏の得意な樣々のオペラの中の一節だつたが――唱つた。マリヤンは口笛ばかり吹いてゐた。厚い大きな脣を丸くとんがらせて吹くのである。彼女のは、そんなむづかしいオペラなんぞではなく、大抵フォスターの甘い曲ばかりである。聞きながら、ふと、私は、其等が元々北米の黒人共の哀しい歌だつたことを憶ひ出した。
何のきつかけ[#「きつかけ」に傍点]からだつたか、突然、H氏がマリヤンに言つた。
「マリヤン! マリヤン!(氏がいやに大きな聲を出したのは、家を出る時一寸引掛けて來た合成酒のせゐに違ひない)マリヤンが今度お婿さんを貰ふんだつたら、内地の人でなきや駄目だなあ。え? マリヤン!」
「フン」と厚い脣の端を一寸ゆがめたきり、マリヤンは返辭をしないで、プールの面を眺めてゐた。月は丁度中天に近く、從つて海は退潮なので、海と通じてゐる此のプールは殆ど底の石が現れさうな程水がなくなつてゐる。暫くして、私が先刻のH氏の話のつづきを忘れて了つた頃、マリヤンが口を切つた。
「でもねえ、内地の男の人はねえ、やつぱりねえ。」
なんだ。此奴、やつぱり先刻からずつと、自分の將來の再婚のことを考へてゐたのかと急に私は可笑《をか》しくなつて、大きな聲で笑ひ出した。さうして、尚も笑ひながら「やつぱり内地の男は、どうなんだい? え?」と聞いた。笑はれたのに腹を立てたのか、マリヤンは外《そ》つぽを向いて、何も返辭をしなかつた。
此の春、偶然にもH氏と私とが揃つて一時[#「一時」に傍点]内地へ出掛けることになつた時、マリヤンは※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]をつぶして最後のパラオ料理の御馳走をして呉れた。
正月以來絶えて口にしなかつた肉の味に舌鼓を打ちながら、H氏と私とが「いづれ又秋頃迄には歸つて來るよ」(本當に、二人ともその豫定だつたのだ)と言ふと、マリヤンが笑ひながら言ふのである。
「をぢさん[#「をぢさん」に傍点]はそりや半分以上島民なんだから、又戻つて來るでせうけれど、トンちやん(困つたことに彼女は私のことを斯う呼ぶのだ。H氏の呼び方を眞似たのである。初めは少し腹を立てたが、しまひには閉口して苦笑する外は無かつた)はねえ。」
「あてにならないといふのかい?
前へ
次へ
全20ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング