ゐるのである。殊に驚くべきは、碧《あを》い珊瑚礁《リーフ》魚よりも更に幾倍か碧い・想像し得る限りの最も明るい瑠璃色をした・長さ二寸許りの小魚の群であつた。丁度朝日の射して來た水の中に彼等の群がヒラ/\と搖れ動けば、其の鮮やかな瑠璃色は、忽ちにして濃紺となり、紫藍となり、緑金となり、玉蟲色と輝いて、全く目も眩むばかり。斯うした珍魚共が、種類にして二十、數にしては千をも超えたであらう。
一時間餘りといふもの、私は唯呆れて、茫然と見惚れてゐた。
内地へ歸つてからも、私は此の瑠璃と金色の夢の樣な眺めのことを誰にも話さない。私が熱心を以て詳しく話せば話す程、恐らく私は「|百萬のマルコ《マルコ・ミリオネ》」と嗤はれた昔の東邦旅行者の口惜しさを味ははねばならぬだらうし、又、自分の言葉の描寫力が實際の美の十分の一をも傳へ得ないことが自ら腹立たしく思はれるであらうからでもある。
ヘルメット帽は、委任統治領では官吏だけのかぶるものになつてゐるらしい。不思議に會社關係の人は之を用ひないやうである。
所で、私は、餘り上等でないパナマ帽をかぶつて群島中《ぐんたうぢゆう》を歩いた。道で出會ふ島民は誰一人頭を下げない。私を案内して呉れる役所の人がヘルメットをかぶつて道を行くと、島民共は鞠躬如として道を讓り、恭しく頭を下げる。夏島でも秋島でも水曜島でもポナペでも、何處ででもみんなさうであつた。
ジャボールを立つ前の日、M技師と私は、土産物の島民の編物を漁るために、低い島民の家々を――もつと正確にいへば、家々の縁の下を覗き歩いた。前に一寸言つたが、ヤルートでは、家々の縁の下に筵を敷いて女共がごろ/\してをり、さういふ連中が多く蛸樹の葉の纖維で編物をやつてゐるのである。M氏より十歩ばかり先へ歩いてゐた私は、或る家の縁の下に一人の痩せた女が帶《バンド》を編んでゐる所を見付けた。帶《バンド》は中々出來上りさうもないが、傍には既に出來上つたバスケットが一つ置いてある。私は、案内役の島民少年にバスケットの値段を聞かせる。三圓だといふ。もう少し安くならないかと言はせたが、中々承知しさうもない。そこへM氏が現れた。M氏も少年に値段を聞かせる。女はチラと私と見比べるやうにして、M技師を――いや、M技師の帽子を、そのヘルメットを見上げる。「二圓」と即座に女は答へる。オヤツと私は思つた。女はまだ自信の無いや
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