二の字点、1−2−22]出て來る名前ださうである。
 瀟洒たるバンガロー風の家だ。入口に、八島嘉坊と漢字で書いた表札が掛かつてゐて、ヤシマカブアと振り假名が附けてある。此の地方の風と見えて、廚房だけは別棟になつてゐるが、それが四面皆竪格子で圍んだ妙な作りである。
 初め主人が不在とて、若い女が二人出て來て接待した。一見日本人との混血と分る顏立だが、二人とも内地人の標準から見ても確かに美人である。二人が姉妹だといふことも直ぐに判つた。姉の方がカブアの細君なのだといふ。
 程なく主人のカブアが呼ばれて歸つて來た。色は黒いが一寸インテリ風の・三十前後の青年で、何處か絶えずおど/\してゐる樣な所が見える。日本語は此方の言葉が辛うじて理解できる程度らしく、自分からは何一つ言出さずに、たゞ此方の言ふことに一々大人しく相槌を打つだけである。これが年收五萬乃至七萬に上るといふ(椰子の密生した島を有《も》つてゐるといふだけで、コプラ採取による收入が年にその位あるのだ)大酋長とは一寸思はれなかつた。椰子水とサイダーと蛸樹の果とをよばれて、殆ど話らしい話もせずに(何しろ向ふは何一つしやべらないのだから)家を辭した。
 歸途、案内の支廳の人に聞く所によれば、カブア青年は最近(私が先刻見た)妻の妹に赤ん坊を生ませて大騷ぎを引起したばかりだとのことである。

 早朝、深く水を湛へた或る巖蔭で、私は、世にも鮮やかな景觀《ながめ》を見た。水が澄明で、群魚游泳の状《さま》の手に取る如く見えるのは、南洋の海では別に珍しいことはないのだが、此の時程、萬華鏡の樣な華やかさに打たれたことは無い。黒鯛ほどの大きさで、太く鮮やかな數本の竪縞を有《も》つた魚が一番多く、岩蔭の孔《あな》らしい所から頻りに出沒するのを見れば、此處が彼等の巣なのかも知れない。此の外に、透きとほらんばかりの淡い色をした・鮎に似た細長い魚や、濃緑色のリーフ魚や、ひらめ[#「ひらめ」に傍点]の如き巾の廣い黒いやつ[#「やつ」に傍点]や、淡水産のエンヂェル・フィッシュそつくりの派手な小魚や、全體が刷毛の一刷《ひとはき》の樣に殆ど鰭と尾ばかりに見える褐色の小怪魚、鰺に似たもの、鰯に似たもの、更に水底を匍ふ鼠色の太い海蛇に至る迄、其等目も絢《あや》な熱帶の色彩をした生物どもが、透明な薄翡翠色の夢の樣な世界の中で、細鱗を閃かせつゝ無心に游優嬉戲して
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