うな態度で何かモゴ/\と口の中で言つてゐる。少年に通譯させると、「二圓だけれど、何なら一圓五十錢でもいい」と言つてゐるのださうだ。私が呆氣《あつけ》に取られてゐる中に、M氏はさつさ[#「さつさ」に傍点]と一圓五十錢で其のバスケットを買上げて了ふ。
 宿へ歸つてから、私はM氏の帽子を手に取つて、しげ/\と眺めた。相當に古い・既に形の崩れた・所々に汚點《しみ》の付いた・おまけに厭な匂のする・何の變哲も無いヘルメット帽である。しかし、私にはそれがアラディンのランプの如くに靈妙不可思議なものと思はれた。

          ※[#ローマ数字3、1−13−23]
[#地から5字上げ]ポナペ
 島が大きいせゐか、大分涼しい。雨が頻りに來る。
 綿《カボック》の木と椰子との密林を行けば、地上に淡紅色の晝顏が點々として可憐だ。
 J村の道を歩いてゐると、突然コンニチハといふ幼い聲がする。見ると、道の右側の家の裏から、二人の大變小さい土民の兒が――一人は男、一人は女だが、切つて揃へたやうな背の丈だ。――挨拶をしてゐるのだ。二人ともせい/″\四歳《よつつ》になつたばかりかと思はれる。大きな椰子の根上りした、その鬚だらけの根元に立つてゐるので、餘計に小さく見えるのであらう。思はず此方も笑つて了つて、コンニチハ、イイコダネといふと、子供達はもう一度コンニチハとゆつくり言つて大變叮嚀に頭を下げた。頭は下げるが、眼だけは大きく開けて、上目使ひに此方を見てゐる。空色の愛くるしい大きな眼だ。白人の――恐らくは昔の捕鯨者等の――血の交つてゐることは明らかである。
 總じてポナペには顏立の整つた島民が多いやうだ。他のカロリン人と違つて、檳榔子を噛む習慣が無く、シャカオと稱する一種の酒の如きものを嗜《たしな》む。之はポリネシヤのカ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]と同種のものらしいから、或ひは、此處の島民にはポリネシヤ人の血でも多少はひつてゐるのかも知れぬ。
 椰子の根元に立つた二人の幼兒は、島民らしくない小綺麗な服を着てゐる。彼等と話を始めようとしたのだが、生憎、コンニチハの外、何にも日本語を知らないのである。島民語だつて、まだ怪しいものだ。二人ともニコ/\しながら何度もコンニチハと言つて頭を下げるだけだ。
 其の中に、家の中から若い女が出て來て挨拶した。子供等に似てゐる所から見れば、母親だらう
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